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ゲーム論説ブログ

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ぼくマスターチーフです!

2012/09/03 19:16 Category:業界
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山のぶ代がはじめてドラえもんのアフレコに参加した際、原作者である藤子・F・不二雄がスタジオを訪れた。
 原作者の前での演技とあって、大山はダメ出しをされはしないかと、恐々としながらアフレコをした。
 しばらくして、藤子は一言真顔で呟いた。
「ドラえもんって、こういう声してるんですねぇ」
 大山はその言葉に、甚く感動したそうである。

 Xboxの旗艦タイトルHALOの最新作、HALO4の発売が迫る中、先日行われたXbox大感謝祭のステージで、日本語版吹き替えキャストの変更が発表された。
 十年目にして迎える新たな三部作で、マスターチーフとコルタナを演じるのは、小山力也と藤村歩。両氏とも一線で活躍する実力者。銀河系最強の名コンビをどう演じてくれるのか、実に楽しみである。

 と、諸手を上げて喜ぼうとした時、少し悲しい話を耳にした。このキャスティング変更に対し、一部のファンが撤回を求めて署名運動を行っているという。
 確かに三作十年に渡り主役を張り、数々の思い出と共に記憶される声だった。それ故突然の変更に戸惑い、素直に受け入れられない人が少なからずいることは、当然といえば当然である。
 私自身、寂しい思いをしていないわけではない。できることなら従来のキャストでと、願いたい気持ちはある。
 だがそれに対し、ユーザーが口出ししすぎるというのは、どうだろうかと思うのだ。

 ネットやソーシャルメディアの発達に伴い、ユーザーとクリエーターの垣根は低くなっている。作り手は情報や意見を発信しやすくなり、ユーザーはフィードバックを返しやすくなった。
 だがユーザーは、決して作ることそのものに関わってはならない。なぜならユーザーは、完成したものに対する責任を負う立場にはないからである。
 クリエーターは作ることが仕事だ。自身の思想思考を具現化し、一人でも多くの人のために一本の作品を生み出し、それを売って糧を得る。翻せば、売れなかった時の責任を負うのもまた、彼ら自身なのだ。
 またゲームは、飲食店のようにユーザーの注文に個別対応できるものではない。表現者たる人々の「作品」を、我々は買っているのだ。
 著名な画家が「次は風景画を描きます」と言ったのを買い手が聞いて「人物画にしてくれ」と言われ、はいそうですかと人物画を描いたとして、我々は両者のその行いを素直に歓迎できるだろうか?
 今回の件に口出しをするなとは言わない。だが行動や発言に移す前に、ユーザーとして越えるべきではない線と、最低限の礼節をきちんと確認して欲しい。高まりすぎ暴走した意見は、双方を傷付ける諸刃になりかねないのだ。

 奇しくも今日はドラえもんの誕生日。アニメのドラえもんが生まれた日、藤子氏は大山氏らをアニメのプロとして見て、その仕事をただ眺めていたにすぎない。そしてもたらされた結果を受け取り、これがドラえもんの声なのだと納得したのだ。
 そのドラえもんも声が変わって久しいが、今やあの声もすっかり馴染んで聞こえはしないだろうか?
 新しいHALOを表現するために必要なキャスティングだというなら、むしろ歓迎しようではないか。プロが作り、プロが演じるその作品を。
 新しいチーフとコルタナって、どんな声してるんでしょうねぇ?

専門志

2012/08/31 20:06 Category:業界
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刊ファミ通に稿を卸しているあるライターが、何年か前に誌面で嬉しそうに語っていたのを思い出した。
 ある親戚の家を訪れた際、その家の低学年の息子とゲームで遊んでいた。するとその子が突然
「ちょっとまってて」
 と言って部屋へ戻っていった。何をするのかと思って待っていると、彼はファミ通を手に戻ってきた。そして再び座るや、何度も何度も読んでボロボロになったファミ通をまためくりながら、そのゲームの攻略法を食い入るように見ながらゲームを続けた。
 ライター氏はその姿に、涙が出るほど感動したという。

 ネットインフラが加速度的に発達し、携帯端末やIT機器の利用年齢が驚くほど低下している昨今。リビングにパソコンがあることも珍しくなく、スマートフォンが手のひらにネットの情報をもたらす時代になっても、子供が小脇に抱えて持ち運べ、欲しい情報にすぐたどり着ける紙のメディアは、今だ情報媒体の主役である。

 国内で唯一のXbox専門誌であり、我らXboxユーザーにとっては、ファンクラブ会報とも言うべき雑誌『ファミ通Xbox360』が、月間から季刊に変わるという。
 変更の理由は推して知るべしと言ったところだが、Xboxのロンチ前からファンの拠り所であった雑誌が、我々から一歩遠ざかってしまうようで寂しい。
 無論松井編集長をはじめ、関係者にとっても苦渋の決断であったことだろう。誰責める話ではないが、下された決断が余りにも重く感じる。
 合わせて連載記事もほとんどが終わってしまうようだ。楽しみにしていた人気連載も少なくない。こちらも寂しさを助長する。

 最後の月刊となった誌面の中で、Xboxの恩人ともいうべき板垣伴信氏が、猛烈に季刊化に反対していたのが印象深かった。Xboxを思うが故の言葉の数々に、読むこちらまでもが熱くなった。
 季刊化後はどのような誌面になるのだろう。より濃密で楽しい、何度も何度もめくりたくなる誌面であってほしい。一読者として切に願わずにいられない。
 ともあれ今は、編集部の皆さん、ご苦労様でした。そしてこれからもよろしくお願い致します。

楽しい波

2012/07/13 22:49 Category:業界
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口博信が新作ゲームを出す。と聞けば、多くのゲームファンは見目麗しき大作RPGを連想するだろう。だが姿を見せたのは、iOS向けのカジュアルなゲームであった。
 ミストウォーカーからリリースされる新作タイトル『PARTY WAVE』は、ずばりサーフィンをテーマにしたゲーム。画面上のキャラをドラックしてパドリングし、波に乗ったらタッチしてエアリアルを決める。煩雑な操作はない。ヴィジュアルからシステムまで、ゆったりした空気が流れているようだ。
 フェイスブックやツイッターで、その製作過程をちらちらと見せていたことでも話題となっていた。ハワイの海岸の波打ち際で、砂の上に書いたプランがプロジェクトの始まり、なんていう逸話も、坂口氏らしいではないか。

 説明するまでもなく、ファイナルファンタジーを世にもたらし、その作品のほとんどが、いわゆる大作と呼ばれる坂口氏である。そうした流れとは一線を画す毛色のゲームに、戸惑う人は少なくないだろう。
 無論一本のiOSゲームとして見るなら、価格も手触りもお手頃で楽しそうなゲームである。故にこのタイトルは、作者を評するか作品を評するかによって、ゲームファンにとっての試金石になるかもしれない。
 かつて坂口氏自身が、ゲームに作家性が表される時代が来ると予見していた。その言葉がブルードラゴンの発表時に発せられたことと合わせて鑑みれば、坂口氏の作家性がそこにあると暗に示している、と察した人もいるはずだ。
 だがPARTY WAVEは、見た目も中身もそうした作品群とは違いすぎる。そこに坂口博信の新たな作家性を見出すが、過去作との優劣によってのみ評価するか…。

 ともあれ、価格も操作もリーズナブルな、サーフィンの楽しさを抽出したアクションゲームであるらしい。期待は存分に高めてよいのではないだろうか。

UBI一考

2012/06/29 23:56 Category:業界
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て甲斐のある海外ゲームメーカー。
 この言葉に、私は思わず膝を叩いた。

 週刊ファミ通7/12号で、UBIソフトの特集が組まれた。実に30ページ。昨今スクエニやカプコンでも容易に取れない紙巾であろう。
 今やUBIのメインピラーになったアサシンクリードの最新作はもちろん、ゴーストリコン・フューチャーソルジャー、FAR CRY3、ロックスミス等、玉玉混合のラインナップがページを埋めた。
 特集のとりを飾ったのが、日本のユービーアイ社長スティーヴ・ミラー氏と、同マーケティングディレクターの辻良尚氏へのインタビュー。自社の特色と強み、E3の感想と新作への意気込みなどを、ちょっとした裏話を交えて語っている。
 そのインタビューのオーラスに、ミラー氏が語ったのが冒頭の言葉だった。

 マーケティングという言葉は非常に便利だ。市場動向、過去の売れ行き、短観等をミックスし、社の方向を決めていく。
 それはまるで天気予報のように、データを積み重ねて因果関係を暴きだし、現状の数値から明日の空模様を描くのに似ているかも知れない。
 そうして導き出された結論は、きっと強い信憑性を得て、お金を動かす立場の人々に迎えられるだろう。
 だがそれは、本当にゲームに向いている手法なのだろうか?

 四畳半で大作ソフトが生まれた時代も今は昔。一本のタイトルを出すのに億単位の金が動くことも当たり前。出すソフト出すソフトすべてが社運のかかった一本だというメーカーも、決して少なくはないだろう。
 だが今も変わらない事がある。ゲームを買うのは所詮個人であり、マーケットはその集合でしかない。
 市場に何億何兆の金が動こうとも、なけなしのお小遣いを握り締め、とても魅力的に見えるソフトの箱を二つ見比べ、うんうん唸りながら一本を選ぶユーザーは、古今東西問わずいるものだ。
 そしてそれは時に、メーカーによって流れを動かせてしまうものでもある。
 明日は雨が降りそうだから傘を作ろう。というマーケティングではない。それならすぐに晴れさせて、みんなに虹を見せてやろうと思ってこそのクリエーターシップではないのだろうか。
 メーカーの商品がユーザーのトレンドを作るように、ユーザーのニーズがメーカーのスタイルを変えることもあるのだ。
 だから私たちに、あなたの声をもっと聞かせて下さい。それを受け止める準備があります。
 社長の言葉には、UBIのそんな魂が見え隠れしている気がした。

 そういえば以前、TGSでUBIが日本未発表のゲームを大々的にPRした際も、私は天気になぞらえて原稿を書いた。
 空を見上げ、空の気持ちを知るメーカーがある。
 UBIは空から目を離さないらしい。そして我々も、UBIから目が離せそうもない。

客の勝ち負け

2012/05/11 18:42 Category:業界
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めてこの話をさせてもらう。長年ご愛読頂いている方には目垢がついた話だろうが、こうした話題にはやはりこの話が一番しっくり来るのだ。

 作家の永六輔が学生時代、親交のあった陶芸家の河井寛次郎と共に、京都清水の坂を散歩していたときのこと。永青年がとある道具屋の店先に置かれた、小さな蕎麦猪口に目を留めた。
「ほう、いいねそれ」
 視線の先に気付いた河井氏も褒める。名のある陶芸家に審美眼を見立てられれば、そりゃあ得意になるもの。
「いいでしょうこれ?」
「いくらだろうね?」
「僕は一万円でも買いますね」
 本当は千円くらいだと踏んでいたが、得意になった気分も手伝って大きく出た。
「そうか、じゃ買ってきなさい。ここで待ってるから」
 言われた永青年は店に入る。
「ごめんください、あそこにある蕎麦猪口はおいくらですか?」
「へぇ、五百円になります」
 それは安いと喜び、永青年はすぐ買って戻る。
「買って来ました先生」
「いくらだったね?」
「五百円でした」
「そりゃあやすいね」
 二人はそう言って歩き出す。と、すぐさま河井氏が足を止めた。
「まさか君、それで五百円払って来たんじゃないだろうね?」
「ええ、払いました」
「なぜ一万円払わない?」
 永青年はわけがわからない。
「だって、五百円ですから…」
「君は一万円だと言ったじゃないか」
「でもお店は…」
「そういうことじゃない。君がその蕎麦猪口に一万円をつけたなら、なぜそれを通さない?自分の言葉に責任も持つべきだ。一万円払ってくるまで君とは口をきかん」
 敬愛する氏に臍を曲げられてはかなわないと、永青年は道具屋に戻る。
「すみません、さっきの蕎麦猪口なんですが」
「はいなんでしょう?」
「一万円で買わせてください」
「…はい?」
「いや、ですからあと9500円で」
「あ、おつりがご入用で?」
「違うんですあの、この一万円で…」
「えー、あ、じゃあこちらもお付けしまして」
「いりませんいりません!」
 と、コントのような悶着の後、押し付けるように一万円を払って戻ってきた。
「…払ってきました」
 不服そうな永青年。対する河井氏は満足げな顔をしている。
「うんうん。それでいいんだ。君がそれに一万円もの値をつけたという事は、君がそれに負けたという事だ。負けた相手には礼を尽くさなきゃいけないよ」
 値段は売り手がつけて当然という時代になって久しい現代。河井が語った買い物における買い手と売り手の関係性は、どこか新鮮である。

 近年雨後の筍のように頻出し、破竹の勢いで急成長を続けるソーシャルゲーム市場に、思わぬブレーキがかかりそうである。
 有料で引ける籤でアイテムを当て、それを複数集めてよりよいアイテムを獲得するシステム、いわゆる『コンプガチャ』に対し、消費者庁は景品表示法に定める「絵合わせ」に当たるものとし、対策を検討しているという(5月10日現在)
 ソーシャル市場の稼ぎ頭にして、その射幸性の高さが取り沙汰されてきたシステムだけに、市場全体への影響は未知数であろう。
 同様のサービスを展開する大手各社は、すでに今月一杯でコンプガチャを中止することを決めているという。
 消費者庁は「子供が月数十万円請求される事例もあり、一定の規制をしなければならない」としているが、私個人はどうしてもこの一連の経緯に、気持ちわるさを感じずにはいられない。

 極論かもしれないが、与えられる対価を明確にし、支払いの額と仕組みをきちんと理解し、それに対して支払う能力を有する限り、これを行うか否かは消費者の判断でしかないのではなかろうか。
 先述の河井氏の言を借りれば、消費者がコンプガチャに負けたのなら、礼は消費者が尽くせばいい。お上が出るべき場面は、そこに極端な公平性の欠如と、当初の契約の不履行があった場合程度にすべきではなかろうか。
 コンプガチャの仕組みそのものに違法性があるならそう言えばいい。多額の金銭を支払った人をさも『被害者』と呼ぶような風潮に、どうしても違和感を覚えずにいられないのだ。

 全くの気のせいかも知れないが、PL法が施行された辺りから、消費者の責任というものが過剰に軽視されている気がしてならない。
 製造物により発生した事故を、その製品の安全性の欠如と一絡げにし、責任を製造者に転嫁してしまっては、いつまで経っても賢い消費者など育ちようはなく、同様の事故が絶える事はあるまい。
 以前、鉛筆のキャップに小さな穴を空けているメーカーを見た。子供が誤飲した際、窒息しないよう空気穴を開けていると言っていた。
 さも素晴らしい工夫であるように取り上げられていたが、もし穴の開いていないキャップを誤飲して子供が窒息失した場合、その責任はメーカーが問われてしまうのかと思うと、心底ゾッとした。
 その前に絶対的になければならない要素。そうしたものを口に入れてはならないという、人間として至極当たり前の事を教育すべきだという考えが、すっぽり抜け落ちている気がしてならなかった。

 話を戻す。コンプガチャに違法性があるか否かは、司法が決めればよい。だがそうであったとして、買った人間は被害者であり一分の責任もないかといえば、そんなことはあり得ない。そうした仕組みと価格に負けたのだから。
 昨今難しいことかもしれないが、負けて礼を尽くす価値がある商品と価格であるかどうかを、見極められる消費者になればいいのだ。

 冒頭の話には続きがある。
 永青年は悔し紛れに河合氏に聞いた。
「じゃあこの蕎麦猪口が十万円だと言われたらどうすればいいんです?」
 河合氏はこともなげに答える。
「そうしたら一万円に負けてくれるまで、あそこに通って値切りなさい。君が決めた値段なんだから」
 値切れないのならどうするか。その先の選択が、あなたが賢い消費者であるか否かの分水嶺なのかも知れない。

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