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CEROって何じゃろ?

2013/11/06 20:18 Category:日記、雑記
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定非営利活動法人コンピュータエンターテイメントレーティング機構。ゲームファンなら一度は耳にするであろう、CEROである。
 国内における家庭用TVゲームソフトを審査し、その作品に適った対象年齢を指定する団体というのが、およその我々の認識だと思う。
 今や珍しくなくなった、海外タイトルの国内移植作等では、海外版との差異が話題になることも多く、その都度ネットにはCEROに対する怨嗟の言葉が列を成すのが、最近のお約束であるようだ。
 しかしよく考えてみれば、CEROが審査したという話は聞くものの、規制したという話は聞かない。では一体、何が海外版と国内版の差異を生み、それにより何が守られているのだろうか?


 まずCEROについて、もう少し詳しく解説しよう。
 特定非営利活動法人、いわゆるNPOは「特定の公益的・非営利活動を行うこと」を目的とする法人であり、その運営によって得た利益を、構成員に分配するのではなく、主たる活動に充てることを意味する。
 字面からつい、収益をあげてはいけないボランティアのようなイメージを受けがちだが、収益を上げることに制限は無い。
 ちなみにCEROは会員の入会金及び会費、そして会員企業がソフトの審査を申請する際の審査料を主な収入源としている。

 CEROの主たる目的は
『ゲームソフトの年齢別レーティング及びその他の方策を実施することにより、一般市民やユーザーに対しゲームソフトの選択に必要な情報を提供し、青少年の健全な育成を計り且つ社会の倫理水準を適正に維持すること』 (定款第3条抜粋)
 つまりゲームの対象年齢情報を消費者に明示し、みんなでしあわせになろうよということだ。
 ではCEROは、何を見てどんな判断を下すのか?

CERO倫理規定はこちら

 倫理規定を見てみると、審査対象となる表現は大きく分けて、性、暴力、反社会的行為、言語思想関連の4種。さらにそれぞれが、いくつかの小項目に分けられている。
 無論これに引っかかれば、自動的に判定が下るというものではない。その「度合い」という点もチェックされる。
『「直接的」であるか、「間接的」であるか。「肯定的」であるか、「否定的」であるか。「必然的」「自然的」であるか、否か。テーマとの関連で「主題的」か、「背景的」か。一般人の観点からみて不合理に嫌悪感を与えないか、反社会的ではないか、扇情的ではないか等が考慮される』(同倫理規定より抜粋)
 これ以外にも、そもそも国内のソフトでやってはいけないとされる『禁止表現』もある。一部抜粋すると『性器及び局部(恥毛を含む)表現/極端に残虐な印象を与える身体分離・欠損表現/人身売買等を推奨している表現/実在する人物・国・国旗・人種・民族・宗教・思想・政治団体を敵視または蔑視する表現で、なおかつ一方的に非難・中傷する表現』などがある。
 CEROではこれを元にチェックリストを別途作成し、メーカーから送られるゲームのまとめ映像を、年齢や性別の異なる三人の審査員がチェックする。
 よく誤解されるのが、審査員の個人観念で「この表現はけしからん」といってチェックされるわけではなく、予め用意された上記のような基準に照らし合わせて「これはここに該当しますね」というチェックをするのである。
 そうして上げられたチェック結果を見たCERO事務局が、各項目で最も高いレーティングを採用する。というのがCEROの審査方法だ。
 中でも禁止表現に抵触すると、CEROからレーティングが付与されなくなる。そうすると、CEROの審査を販売認可の基準としている、国内プラットフォーマからその認可が下りず、国内では販売できなくなるというわけだ。
 これに加えて、プラットフォームによっては独自の基準を策定してチェックしたり、他機種で販売した同タイトルより、レーティングを下げたものを発売する場合もある。

 以上が、CEROの公式HPなどからまとめられる、CEROの活動内容である。ここからは、それらを基にした推察が些か混じることを留意されたい。


 CERO自体はソフトウェアの「審査」をする機関であり、メーカーに対し内容の改変命令や、販売禁止措置を行うなどの権限は無い。
 だが、CEROのレーティングを付与されることを、対応ソフトウェアの認可条件の一つにするプラットフォーマは確かに存在し、2005年の神奈川県での『グランドセフトオート3』の有害図書指定を皮切りに広まった、全国での区分陳列や18歳未満への販売禁止措置等、レーティングを取り巻く環境を鑑みれば、例え「事実上」という冠詞がつくものの、CEROが国内ゲーム流通の要の一つに数えられるのは当然であり、その影響力が過大評価されても致し方あるまい。
 事実、過去には審査用に提出された資料に不備があったため、一度与えられたレーティングが撤回され、メーカー判断で出荷停止になったタイトルもある。
 では、一部熱心なゲームファンが言うように、CEROが日本のゲームの表現を締め上げているのだろうか?

 平成17年10月から、東京都とCESA(コンピュータエンターテイメント協会)をはじめ、ゲームメーカーや大手販売店の代表が集って行われた『テレビゲームと子供に関する協議会』の合意文書がある。

合意文書本文はこちら

 要約すると
>CEROは新しい区分(現Z区分)を設ける。
>CESAはZ指定ソフトを、18歳未満販売禁止として扱い、販売店に対し区分陳列や年齢確認、青少年への販売禁止の徹底を要請する。
>メーカーはZ指定をソフトに表示する。
>販売店はZ指定ソフトの区分陳列や購入者の年齢確認を行い、青少年へ販売しない。
 という点が確認され、CEROのみならず各方面が、健全化への努力をすることで合意している。
 上記からも分かる通り、CEROには規制及び販売制限の決定権は与えられていない。そして同意事項の何処を見ても、CEROの審査規定そのものに対する改正要求はされていない。つまりCEROの機能は適当(本来の意味で)であると認められているのだ。

 ではCEROの審査、ことZ指定に対するゲーム業界への影響は、いかほどのものだろう?
 2013年9月1日現在。CEROのHPにある審査済みタイトルを検索してみる。
 なお、付与されるレーティング制度が改変されたものに関しては、該当する年齢層をまとめて算出している。またそれに際し、旧18歳以上指定のタイトルは、改変後D指定とZ指定を再配分されているので、そちらの数に入っている。
 結果、それぞれの年齢区分のタイトル数は、以下のような比率になった。

グラフ
※クリックして拡大

 決してZ指定のゲームが多いと思っていたわけではないが、こうして比較するとその少なさに驚く。全年齢タイトルの30分の1だ。
 にもかかわらずZ指定タイトルの話題がこれほど多いのは、それだけユーザーの多くが、Z指定タイトルに注目しているということだ。
 ここから各レーティングごとの販売数の比率を割り出す事は難しいが、市場全体におけるZ指定タイトルの比率と、実際の影響力とは相当な開きがあるということを頭に置いて頂きたい。

 まとめると、CEROがあるから国内版の表現が変わる、というのは若干語弊があるように思う。CEROのレーティングでZ指定をされると、CESA及び販売店により陳列場所と購入者に対する制約が課され、売り上げに影響があるため、これを回避するため表現を抑えたソフトが発売される場合がある。というのが、およそ理に適った解釈ではないだろうか?


 CEROの専務である渡邊和也氏は以前
「我々が折角Z区分があるんだから、もっと表現の天井を上げていいんじゃない?としても、メーカーさんがこれくらいにしておこうというケースが多いですね」
 と語っていた。
 ではメーカーが及び腰なのが悪いのかといえば、プラットフォームごとの独自規定や、販路の制約を回避したいなどの事情もあり、一概にそうだとは言えない思う。
 それに、CEROのような機構があるからこそ、プラットフォームごとに異なる規定が設けられたり、それによる『規制下げ合戦』などが起こらずに済んでいる。
 マルチタイトルが当たり前になりつつある昨今。もしプラットフォーマごとにちぐはぐな基準で審査されたら、それに合わせようと開発者もコストが嵩んでしまい、結局一機種のみでの発売を余儀なくされる、なんでいう事態になりかねない。
 また、自治体が条例を制定する際の基準に採用され、地域ごとの基準のばらつきをなくし、実態に適した条例の制定につながっていることも事実である。何よりそうした、実体としての業界努力が示せていなければ、ゲームに向けられる世間の指弾はもっと苛烈になっていたかもしれない。そう思うとぞっとする。

 海外オリジナルの表現が刺激的であればあるほど、国内版との差異にがっかりすることもある。国内で海外版を買えても、言葉の壁に四苦八苦することもざらである。
 だがここまで読んでいただければ、CEROの門扉は皆さんが想像しているより、かなり広いことがご理解いただけたであろう。同時に何が海外版と国内版の差異を生み、それにより何が守られているのかということも、お察し頂けたと思う。
 オリジナルに近いものを遊びたいと願うのは、ファンとして当然のことだろう。それができないことに不平を漏らすのは容易だが、それを変える事は本当に出来ないのだろうか?
 ファミコン誕生から三十年。ゲームの消費者層は、保護者あるいは有権者と呼ばれる世代に移っている。ゲームの表現を守れるのは誰か。そのために働きかけるべきは何処か。不平を言う前に、そろそろ真剣に考えるべきなのかもしれない。
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