a-360

ゲーム論説ブログ

スポンサーサイト

--/--/-- --:-- Category:スポンサー広告
TB(-) | CM(-)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

追悼・山内溥

2013/10/02 21:37 Category:日記、雑記
TB(0) | CM(-)

1982年。北米の小売業、こと玩具業界を襲った局地的恐慌『アタリショック』
 多くの企業倒産や失業者を生み出し、5年に渡る熱狂的流行と必須家電並みの世帯普及率を誇った、アタリ2600の時代の終焉を決定付けた事件である。
 小売業界がゲームに対する怨嗟のような空気に包まれる中、それを見た山内溥は考える。
「結果はどうあれ、爆発的に売れたという事実は変わりない。日本で同じものを作ったら売れないだろうか?」
 山内は直ちに、任天堂オブアメリカの荒川實社長(当時)に調査を命じる。その結果山内は決断する。日本でも同様の物は売れる。アタリショックは回避できる。
 世界を席巻するゲーム機、ファミリーコンピュータが生まれようとしていた。

 もしこの人がいなかったら、今日我々はこれほど素晴らしいゲームに囲まれてはいなかっただろう。山内溥が逝去した。

 大のマスコミ嫌いで知られ、それ故誤解されることも多かった。誤解や噂がそのまま定着することもしばしばであった。
 しかし宮本茂が語った「社長の喜ぶ顔が見たくてやってる」との言葉からもわかるよう、確固たるカリスマ性に満ちた人物であった。
 ファミコンに臙脂色が配された理由も「社長が好きな色だったから」と、開発者である上村雅之氏が語っているのも面白い。
 失敗談にも事欠かない成功者だった。多角経営に乗り出し、手を出して大やけどをした事業も多い。
 だが決して諦めることはせず、かの横井軍平が暇つぶしに作っていたおもちゃを『ウルトラハンド』と銘打って商品化して大ヒット。苦境から一転再起の狼煙を上げてしまう。
 ファミコンを始めゲーム史に燦然と輝く名機たちを生み出し続け、岩田聡にバトンを渡し一線を退いた後も、経営難に陥っていたシアトルマリナーズ(NOAもシアトルにある)の株式を買い危機を救ったり、小倉百人一首文化財団の理事長を務めたり、ベンチャーゲームメーカーの支援ファンドを設立したり、京大病院の新病棟建設資金を寄付するなど、その活動は常に話題を呼んだ。

 訃報が伝えられた日をご記憶の方も多かろう。9月19日。東京ゲームショウ初日でのことだった。
 新ハードのお披露目となった日に、TVゲームを広めた男が旅立つということに、因縁めいたものを感じずにはいられない。泉下で、盟友横井軍平と語らいながら、次世代機を見て何を思うだろう。
 今はただ、彼が残してくれたTVゲームという娯楽に肩まで浸かり、楽しむことで供養としたい。

 合掌。
スポンサーサイト

トラックバック:
この記事のトラックバック URL

プロフィール

ATUSI

Author:ATUSI
ツイッター・@ATUSIBOX
 






原稿依頼やお問い合わせは
[V]←こちらをクリックして
お送りください

無料アクセス解析

>


検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。