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雑感・メタルギアシリーズ

2013/08/06 19:52 Category:日記、雑記
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と小島秀夫…否、ソリッド・スネークの出会いは、確か小学4年のことだったと思う。
 友人から借りたファミコン版『メタルギア』をプレーした私は、隠れてすすむというコンセプトを根本的に理解しておらず、居並ぶ敵をばしばし倒して進もうとして、あっけなくゲームオーバーを迎えた。無論クリアなどできよう筈もない。
 それから十年、プレイステーションでリリースされた『メタルギアソリッド』で彼との再会を果たした私は、その身震いするようなゲームの虜になった。
 核と生命を軸にした重厚な物語。無表情であるはずなのに生き生きと描かれたキャラクター。精緻を極めたゲーム設計。緊張と悲哀を誘うBGM。そして主人公(ヒーロー)である筈なのに、憧れよりも哀れみを感じてしまう男…。
 そう、この男がいたからこそ、私はこのゲームに陶酔したのだ。並居る敵をばったばったとぶちのめし、傷一つ負うことなく世界を救い、眩い笑顔を残して立ち去るコミック的ヒーローが主役では、このゲームのストーリーにここまで浸れはしなかっただろう。
 敵から隠れ、闘えば傷つき、時に迷い、何かを失うこともあり、その罪を背負い、笑顔は少なく涙を見せることは無くとも、いつも何かに怒っているような顔を覗かせる、余りにも人間的過ぎるヒーローに、私は格段の憧れと微かな親しみを覚えていたのだ。
 オープニングにスタッフクレジットを列挙したのも、ゲームファンがスタッフを見るようになっていった時代の先鞭であったように思える。故に我々は憶えてしまったのだ。小島秀夫という男を、強く…。

 では仮に、あなたがメタルギアを全く知らない人だったとして、私はその面白さをどう伝えるだろう。それにはまず、私があなたがどういう映画が好きかを知る必要がある。
 あなたが戦争映画やアクションものが好きだというなら、微に入り細を穿つ兵器戦術考証の賜物ともいうべき、生々しいほどの戦闘シーンを挙げるだろう。
 あるいはサスペンスやミステリーなど、物語で魅せる映画が好きだというなら、ゲーム慣れしたファンをして「説教臭い」と言わしめたほどの、膨大なプロットと美しく絡み合ったシナリオを説くと思う。
 歴史や人物にフィーチャーした作品が趣味だというなら、冷戦期から近未来に連綿と続く、重く哀しい蛇たちの二重螺旋の物語を是非見て欲しい。
 頭空っぽにして楽しめる娯楽映画しか見ないというなら、緊張感漂う中に遠慮なしに散りばめられた、容赦ないジョークネタの存在をほのめかそう。
 そしてあなたが、映画なら何でも見ますよという方なら、私はこうあなたに言うに違いない。なぜこのゲームをやらないんだ?と。

 このゲームは、ゲームという表現技法によって映画を作ろうとしているのだ。
 ゲームは曖昧さを表現しづらい(厳密に言えばできない)メディアである。故に草木を揺らす風や、流れ落ちる水を描くことが難しい。生物の持つ、自分自身すら意識しない動きや影を捉えきれない。シナリオの行間、動きと動きの間、微かな視線の動きに物語を紡がせることもある映画というものを作るには、最も向かないメディアであるはずだ。
 ではなぜこの作品はゲームとして在り、そして今日に至るまでこれほど人々を魅了し続けているのか。ゲームが映画と…否、他のあらゆるエンターテイメントと決定的に異なる点。そう「能動性」にこそ答えがある。
 ゲームは映画と違い、自ら進めなくてはならない。小説のページをめくるのとは違い、その都度要求される行動が変化する。そのことが他のエンターテイメントにはない没入感、同調感をもたらしてくれる。

 些かネタバレになるが書いてしまおう。シリーズ三作目『メタルギアソリッド3・スネークイーター』でのことだ。
 スネークにとっては、男女の関係を表すどんな言葉よりも強く結ばれた女『ザ・ボス』との死闘の後、画面をシネスコープサイズに切っていた黒枠が掃け、突然沈黙する。画面の中で風だけが動き、スネークは何もしない。だがややあって、その真意を理解した瞬間、私は絶叫に似た嗚咽を漏らした。

 ああ小島秀夫よ!なぜあそこで私にそれを委ねた!?

 映画ならこちらの拒否肯定に関わらずフィルムが進み、小説ならそれ以上ページを捲らぬという選択肢もあっただろう。だがあなたは、あそこで物語を止めた。それにより私がそれをしなくては、物語が進まない、世界を救えない、彼女を開放してやれなくなってしまったではないか!なんと惨く鮮やかな演出!
 三十年に渡るゲーム人生の中で、あれほどボタンを押すことを躊躇い、そしてボタンを重く感じたことはなかった。
 それは私がスネークであったから、彼と共に戦い、その人生と想いを体験し、リンクしていたから生まれた感情。ゲームなればこそ為し得た同調感と、最後の決定をプレイヤーに委ねるという、残酷で素晴らしい表現技法が生んだ奇跡の一秒であった。
 そう、この作品はゲームなればこそ、ここまで花開いたのだ。プレイヤーを戦いと悲しみの只中に容赦なく叩き込み、自らの手で希望を見出させること。それこそが小島秀夫が創造した物語に他なるまい。

 時は流れ、世紀が変わり、東西の壁は塵と化し、情報化技術が世界を席巻し、ゲームは限りなく自然に近い曖昧さを獲得した。
 それでも戦争はこの世界に根を張り、生命と資源を吸い上げて枝葉を広げ、悲劇の種子を落とし続けている。スネークが必要とされる時代は、むしろこれからなのかも知れない。
 そして次世代機の登場と同時に、最新作の知らせが届いたことは、新しいゲーム機の感動と、新しいメタルギアの感動を同時に味わえるという、ファンにとってはこの上ない贅沢な期待をもたらしてくれている。
 ゲームが好きでよかったと、この作品をもって誇れるのは、私だけではないはずだ。

 メタルギア誕生から四半世紀。長い長い小島秀夫の説教に、これからも耳を傾けて行きたいと願う。
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