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みかんのねた

2012/12/03 19:10 Category:日記、雑記
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服屋の若旦那が、ある日突然床に伏せる。医者は気の病だというが、両親にも胸の内をあかさない。そこで幼い頃から親しんできた番頭がわけを聞くと、彼はみかんが食べたいと言う。
 そんなことならと承知してしまった番頭。だが土用も近い夏の盛りにみかんなどあるはずもない。藁にも縋るように青物問屋に行くと、蔵の中にとってあったみかんのうち、たった一つが奇跡的に痛まず残っていた。
 事情を知った問屋はただでいいと言うが、大店のプライドが働いた番頭は「金に糸目はつけぬ」と大見得を切る。辟易した問屋は「それなら千両で」と大見得を返す。
 びっくりした番頭は呉服屋に飛んで帰り、大旦那に事情を話す。すると大旦那は「息子の命が買えるなら安いもの」と千両を渡したもんだから、番頭さん二度びっくり。
 古典落語の傑作『千両みかん』である。

 近年ツイッターやまとめブログを見るにつけ、この噺が想起される。ここで言うみかんとは情報のことである。
 面白いツイートや珍しい写真、2ちゃんねるのまとめ記事がRTされたりRSSで上がったり、意外な方面から意外な情報を得ることも少なくなくなった。
 しかし私が疑問に思うのが、全く無関係なアカウントが全文をそのまま自身のアカウントから発信したり、RSS記事を並べただけのブログが多く存在することである。

 私はそれ自体を非難するつもりはない。だが賎しくも情報の一端を担う身分として、そうした行為をみるたび寂しさのようなものをおぼえる。
 面白いツイートは多く拡散されるだろうし、面白い記事に張られたリンクは多くヒット数を稼ぐだろう。だがそれで、発信者が得られるモノは何か?

 みかんを持ち帰った番頭は若旦那に差し出す。若旦那はうまそうに食べるが、番頭は「ああ皮だけでも五両するわ勿体無い」と気が気でない。
 やがて若旦那はみかんを三袋残して番頭に渡す。両親と番頭さんへのお礼だという。番頭はそれを受け取り大旦那の元へ行く。がその途中で立ち止まる。
「待てよ?あのみかん一つで千両ちゅうことは、この三袋でも三百両はあるわな?暖簾分けしてもあの大旦那が持たせてくれるのは精々五十両や……えぇい後は野となれ山となれ!!」
 番頭はみかんの食べかけを持って逐電した。

 昨今多少の情報なら、あたりまえのように無料で享受できる。身銭を切って得る感慨など皆無だろう。だが提供者にとっては、きっとそれが何かをもたらしているからこそ、提供し続けているのだ。
 それは何か?それは本当に価値のあるものなのか?
 ただのみかんのために、何か大切なものを犠牲にしている人がいるようで、悲しい。
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