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追悼・森光子

2012/11/17 10:02 Category:日記、雑記
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から十年ほど前だったか。舞台関係の仕事で有楽町の芸術座で仕事をしていたときである。
 舞台の上で脚立に登り作業をしていると、そうした場には珍しい女性の声が聞こえた。見ると、森光子さんが大道具の責任者に挨拶をしていた。
 小柄だがしゃんとした背筋。大きくないのに通って聞こえる声。ああ女優さんだなあと、いっちょまえに感心した。
 作業を終えよいしょと脚立を降りると、森さんが私のところへやって来た。そして立ち止まり、こちらに身体を向け、御髪がしかと見えるほど頭を下げ、
「おはようございます。よろしくお願い致します」
 と、TVで見た柔和な笑顔で挨拶してくださった。
 まさか当時二十数歳の若造に、日本女優の代名詞のような人が、そんな丁寧に挨拶しに来るなど思わず、私は心底驚いた。
 どう挨拶を返したかおぼえていないが、その時の森さんの顔は今でも覚えている。大女優のオーラとも、舞台芸術の化身とも違う、日本女性の理想がそこに佇んでいた。
 同時に私は、あぁ挨拶ってこんなに人を気持ちよくさせるのだなぁと、改めて感じ入った。
 訃報に接し、驚くよりも先ず「ああ」と声が漏れた。森光子さんが永眠された。

 森さんが30代の頃、大阪の劇場で名もない端役をやっていたときである。いつものように舞台に立っていると、上演途中だというのに入ってくる一人の客がいた。無論森さんは気付かぬまま芝居を続ける。
 と、男はすぐ席を立った。劇場を出る際、支配人に森さんの名前を聞き、連絡するよう願いいれたという。森光子が唯一人「先生」と呼んだ男。後に『放浪記』を生み出す菊田一夫との出会いは、わずか十分ほどのものだった。
「あいつより 上手いはずだが なぜ売れぬ」
 つぶやくような自作の川柳に、芝居への情熱と反骨を滾らせていたころ、その熱を受け取った男が彼女の運命を変えて見せた。

 その熱意ゆえ、15歳のデビュー当時から様々な病気と闘い続けても、一度も引退を口にすることはなかった。41歳で舞台初主演という遅咲きも、人生の山坂を体現する林芙美子の役柄にマッチしたのだろう。人生に無駄なことなどない。つくづく思う。
 その放浪記が2000回目の公演を迎えた日、舞台の上で森さんは言った。
「一生懸命、表現のもっと豊かな女優になりたいと思います」
 前人未到の大偉業も、80年近くに及ぶ女優人生も、ゴールだとは思わなかったのだろう。この若造の前で見せた美しいお辞儀に、まだ道半ばであるとの思いが垣間見えたのは、気のせいだろうか?

 たくさんの笑顔をTVで見られたことと、ほんの数秒出会えた幸せに感謝し、あの日見た笑顔に手を合わせ…否、真っ直ぐお辞儀を返してみる。
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