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情報化社会再考察

2012/01/15 23:50 Category:日記、雑記
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年か前、読売新聞社が主催する国際漫画大賞で、大賞を受賞した作品を憶えている。
 ステージ上にはオペラ歌手、客席は満員、歌手の歌にも熱がこもる。が、観客は全員携帯電話を耳に当てている。
 上演中に携帯電話とは不届き千万。かと思いきや、オペラ歌手もマイクではなく携帯に向かって歌っている。
 情報の価値の逆転。目の前にある事象より、媒体を介して伝えられた情報に重きが置かれることへの警鐘だったのだろうか。あれから十年近く経ち、いよいよその危惧は顕在化してきたようである。

 口コミサイトの情報操作。まとめサイトや個人ブログのやらせ記事疑惑。広がり続けるネット情報の信用失墜に、私は失望と落胆を覚えずにはいられない。
 元々、スポンサー料により運営されるマスコミの、情報の偏重や信用不安に対するように、これに左右されない個人発信の情報源は重宝されてきた。
 しかし情報端末の小型低価格化が進むに連れ、発信源がみるみる細分化され、それをまとめるシステムが求められるようになっていった。
 そうして誕生したのが、パーソナルメディアを発信源とする新たなマスメディアだった。

 組織利潤に左右されにくい個人発信の情報は、確かにそれ自体が企業であるマスコミに比べ、情報の信憑性が違うだろう。
 だが考えてみてほしい。情報の中身はどうあれ、少なくともマスコミは、己の社名と責任を背負った上で発信しているはずだ。万一誤った情報が流れたとき、問われる責任も彼らが負う。
 だが個人発信の情報は違う。日本特有の匿名性の籠の中で、正確な顔も名前もわからない誰かの情報が展開されている。しかもその中身に誤りがあったとして、情報を仲介したシステムも発信した本人も、マスコミのそれより強い責任を問われるだろうか?

 先述した「情報の信憑性の違い」とは、信憑性の高低の話をしているのではない。情報発信が金銭と責任の伴う経済活動であるマスコミと、趣味や善意に依る個人発信のそれとでは「性質」に違いがあると言いたいのだ。

 そもそもの話、なぜここまで口コミサイトやまとめブログが持て囃されているのか、私にはとんと理解できない。
 顔も名前も知らない誰かの評価を引っかき集めたようなものが「情報」であるはずがない。名前と責任を宣言したオペラ歌手が発信してこその情報であり、個々の判別の付かない観客が放つものは野次でしかない。
 稚拙なほど極端な邪推を披露しよう。そのまとめサイトに書かれた書き込みが、まとめサイトの管理者自身が書き込んだものではないとなぜ言えるだろう?
 それでもあなたはそのサイトの情報を信じ、あるいはゲーム業界10年の大計にもなりかねない判断を下そうというのか。
 私が失望と落胆を覚えずにはいられないのはそこなのだ。

 一杯のそばがある。あなたがそれを食す。香り、歯ごたえ、のどごし、すべてがあなたの胃と心を満たしきってくれた。
 口コミサイトを見てみる。そのそばに対する悪辣な評価が並んでいる。まるで作られたことが罪であるかのような言い回しだ。
 さて、あなたはそのそばをどう評価しよう?

 情報は真実と表裏の関係にある。極めて近いが、永劫に同一にはなりえない。
 真実はあなたの目の前にしか存在できず、何かを媒介すれば変質を免れることはできないのだ。
 ネットは実に便利な道具だ。だが道具に使われては意味が無い。一杯のそばを目の前にしながら、サイトに書かれた「まずい」の一言を、あなた自身のそのそばに対する評価にできるはずが無いように。

 ネット情報の信用が失墜したのではない。きっと我々の扱い方が間違っていたのだ。携帯は、オペラの感動を伝える道具ではないということを、今一度確認する時代が来ている。
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