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ゲームという芸術

2011/07/07 23:01 Category:業界
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治生まれの現役医師であり、聖路加国際病院理事長を務める日野原重明氏は、著書の中で述べている。

 音楽や美術、彫刻などの芸術は、聴く人、観る人の批評によって育てられている。
 悪い演奏をしたら、良くない作品を出したら、その芸術家は次に表舞台に出る機会を失う。
 ところが、医師や看護師が行なう医療の実践を評価できる患者は作られてこなかった。
 一般の人に知識を与えず、医療について評価できる患者がいない。だから医のアートが発展しないのである。
 これは患者にとってはもとより、医療者にとっても不幸なことではないか。
(春秋社『いのちの言葉』より)

 方法論に正解がなく、個人の感性に左右される芸術と、ある程度の技術が確立され、身体の健全不健全という目に見える結果で現れる医療を同列に扱うのは些か危険かもしれないが、粗悪な芸術が「感性の不一致」というある種明瞭な説明をもって、購買者に納得させることが可能であるのと同様、医療にも、患者にその結果の善悪を納得させる理由が存在するはずだ。
 近年では、インフォームドコンセント等の医療情報開示が進んでおり、決して医は専門職の占有物ではなくなってきてはいる。
 しかし古くから存在する「掛かりつけ」といった習慣や、第三者への医療内容の開示が難しいことなどから、医のアートを比較して評価するという風潮が生まれるには至っていない。

 ゲームに於いてはどうだろうか。
 或る程度の技術が確立され、さりとて方法論に正解はなく、個人の感性に左右されるものの、面白いか否かという結果が如実に現れる分野だ。
 よくないゲームを作れば当然評価は下がるし、よいゲームを作れば経済的成功にも繋がる。そしてそれを決めるのは、他ならぬユーザーの裁定である。
 インターネットの普及が、それまで少し高くあったユーザーとメーカーの垣根を、急速に下げ始めて久しい。かつては数名のファンが学校での話題にするばかりだったゲームへの評価が、光の速さで世界へ宣伝されるようになった。
 当然その受け手の中には、メーカーの人も多くいる。目を皿のようにしてツイッターにへばり付いている営業の方も、少なくないのではなかろうか。
 当然ゲームへの評価は、各個人の自由意志に基くべきである。だがそのユーザーの…否、あなたの評価は本当に、そのゲームを理解し、知った上での評価なのだろうか?

 例えばゲームをプレーする際、取扱説明書を読まない人が多い。私もその一人なのだが、大して困った記憶はない。
 昨今のゲームは、チュートリアルが搭載されているものが大多数だし、そういうものがなかった時代においては、コントローラのボタンが圧倒的に少なかったため、触ってすぐにあらゆる操作が試せたのだ。
 しかしボタンの数が十を超えるようになった現在、当然の如く頻繁に押すボタンと、そうでないボタンの差異が生まれるようになった。それが何を招くのか。
 全く予備知識を持たずゲームを始め、キャラの足が遅いなどの不都合を感じたとする。それを解決するボタンがあるのだが、それがあまり押す機会のない、或いは「歩行」という行為から直感的に連想できない位置にあるボタンであったとする。
 この場合、プレイヤーは相当ストレスを感じるだろう。だがそのストレスは、何に起因するものと考えればいいのだろうか?
 直感的に「歩行」と関連性を窺える位置のボタンを配さなかったことや、チュートリアルを省いたことなどは、紛れもなくシステム上の不備。すなわちメーカーの責任である。
 だがその事象を解決する方法が載っている取説を読まなかったことは、ユーザーに責任があるだろう。
 例えシステムの不備を指摘しても、もしコンフィングでその設定を変えられたとしたら、そのことに気付かなかったユーザーの責任は軽くはない。
 どんな理由であれ、ユーザーにストレスを与えるべきではない。というご意見も御尤も。こと医療という必要行為ではなく、ゲームという娯楽製品であればなおさらだ。
 だがそうしたことを、十把一絡げにメーカーの責任と決め付け、ゲームという芸術の評価として声高に叫んでしまうと、そのユーザーの行動は正しいと断言できるだろうか?

 こうしたユーザーとゲームの齟齬には、メーカー、クリエータにも言い分は多々あると思う。だがなかなかそれを説明し、知ってもらう機会というのは少なく、何を言っても言い訳に聞こえてしまうのが、娯楽産業の辛いところでもある。
 だからこそ、正しくゲームを理解し評価できるユーザーは不可欠であり、その効用は大きいと思う。
 操作法、システムをきちんと理解し、風評や噂に左右されず、公正な視点でゲームというアートを評価できる人間が、ゲームにも必要であるはずだ。
 そしてそれは、我々ユーザーの心構えのみならず、メーカーのリードも必要になることだ。
 操作法やシステム等、ゲームの初期段階でユーザーとの齟齬を来さない工夫はもとより、楽しみを奪うことなくユーザーをゲームに誘導する事前PRの研鑽や、公式競技会の開催等、ゲームを売るのみならず、ユーザーを育てる活動が必要になるはずだ。

 ITビジネスは秘匿性、専門性が共に高く、消費者との情報共有は容易ではない。
 だが内に閉ざしてばかりで、情報を一方通行にしていては、ユーザーのわがままを助長し、ゲームの評価そのものを不用意に貶めかねない。
 ユーザーとメーカーの間に上手な関係性が構築され、ゲームというアートの理解者が増えれば、もっと業界は面白くなるのではないだろうか。
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