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a-360インタビュー#3 加藤克明(2)

2010/06/16 09:00 Category:インタビュー
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A:そのファミコンが出たのが1983年。加藤青年19歳のときでした。その時は…

加:浪人生ですね(笑)。なのでその年にファミコンはやってないです。僕二回浪人して大学入ったんですけど、入ったときに仲良くなった奴らとバンド組んだんです。その時ドラムやってたカドタ君ってのが大のファミコン好きで、本体もソフトも持ってきて、ファミ通も持ってきてたりして、それ読んでました。その頃出てたのかなファミ通は?

広報:ファミ通は86年創刊ですね。

加:じゃあちょうどその頃読み始めてました。

A:ソフトは何をやってました?やっぱりベースボール?

加:や、実は僕がファミコン買ったきっかけというのが『10ヤードファイト』ってゲームが出たからなんです。

A:懐かしい!(笑)

加:バンド仲間はみんな僕よりゲーム上手かったんですよ。ゼビウス挿しっぱなしにして遊んでる奴とかもいて、全然敵わなかった。でも10ヤードだけは出来たんですよ(笑)。それがファミコンで出てるというのを知って買ったんです。でもソフトを先に買っちゃって(笑)、居ても立ってもいられなくなって本体買いました。

A:大学は何を?

加:文学部でした。その頃にファミコンで相当ゲームにはまったというのは、今の仕事に進むきっかけだったとは思いますね。

A:当時からゲーム誌の仕事をしようと志して?

加:や、全く思ってなかったです。そういう仕事があるって意識してなかったし、ゲーム産業自体が今みたいにセグメントがきちっとしたものでは決してなかったですし、当時大学生でゲーム方面に進みたいなんて言う奴は皆無だったし(笑)。そういう就職活動をするって事はありえなかったですよ。で、ちょっと話逸れるんですけど、僕2浪して2年で大学辞めて、実質現役と同じ歳で辞めたことになるんですけど、それからしばらくブラブラしてたんです。今だと信じられないですけど、当時はそういう学生が結構いて、僕もそうだし当時ファミ通入った人間もほとんどそうだったんですけど(笑)。何でかって、バブル全盛期で仕事に困るなんてことは全く思ってなかったですね。仕事なんか何かしらあると思ってたし、だから今は好きなことやろうとか、バイトで稼いで遊ぼうみたいな奴は普通にいました。

A:腹立つくらいいい時代でしたね(笑)

加:腹立つと思いますよこれ読んでる人(笑)。でもしょうがないですよ。

A:まぁ誰のせいでもありゃしないですが(笑)

加:だから、会社っていうのはシビアなんだなと最近は思います。

A:今さらですか!?(笑)

加:高校の友達とかとたまに会って話すと、みんな一流企業とか銀行とか証券会社に入ってて…でもみんな苦労して入ってないんですよ。大量雇用してたから(笑)。証券会社入った奴なんかだと、入って初年か次の年かのボーナスが二十何ヶ月分出たとか、そういう時代でしたね。

A:(・∀・;;

加:その後その会社なくなっちゃいましたけどね。どこかわかっちゃいますね(笑)。

A:えー話を戻しまして(笑)、加藤さんがアスキーに入った経緯なんですが…。

加:その大学を辞めてブラブラしていた頃…まあ大学でやってたバンドは引き続きやってて、他のバンドと掛け持ちしたりしてました。そんな中に大学時代から引き続きやっていたのが、昔ながらの下駄屋さんがやってた、商店街にサンダルや何かを配達するみたいなアルバイト。免許持ってたんで割もいいし、時間もそんなに厳しくなく、好きな音楽かけながら走って、飯も休憩も自由だし、時間が空いたらいろんな商店街の古本屋とかレコード屋を覗ける。

A:それ働いてるんですよね?(笑)

加:もちろん忙しいときは別ですよ?で僕自身本読んだりもの書くのとかも好きで、音楽とかそういう事で何か出来たらいいなと思ってた時代があって、そういうアルバイトしながら……活動してましたね。レコード屋巡り等の(笑)。大学やめてしばらくそんなこと続けてたんですけど、そんな状況を見兼ねた彼女に振られまして(笑)、それがまた一大契機で、ショックでその仕事をやめることになるんですが(笑)。その後しばらく落ち込んだ後、自立して将来何かするためにお金をためようと考えて、日野自動車の工場で働いたんです。当時バブル絶頂だったんで、自動車産業もすごい勢いあったんですね。で、期間従業員みたいな形で休みながら二年くらいやって、そしたら百何十万か貯まったんですよ。

A:へぇぇ

加:そこですごい悩んだんですよ。あ、言い忘れてたんですけど、僕小学5年くらいから、家にあったガリ版印刷機で本作ったり漫画描いたりしてて、友達に無理矢理投稿させて読者コーナーつくったりしてたんですよ。今と全然変わらないんですが(笑)。あと中学のときに毎年文集みたいの出すじゃないですか。僕文芸部にも入っちゃってたんで(笑)毎年小説みたいなのを書かされてたんです。なので悩んだのが、音楽関係の仕事に就くか、雑誌や本を作る仕事にいけないかなと。当初はギターエンジニアの学校に通おうと思ってたんですけど、結構授業料が高くてすぐ足りなくなりそうだったんです。じゃあどうしようと思ってたときに、たまたま新聞の求人でファミ通が募集してるのを見つけたんです。

A:たまたま!?(笑)

加:たまたまです(笑)。それみて「あぁ俺アスキーのゲームやってんなぁ。ベストプレープロ野球とか」程度で(笑)。でもファミコン通信は先述のカドタ君が持ってるのを毎号読んでたりして。

A:あぁなるほど。

加:だから「あぁファミ通って面白いよなぁ。あそこ出てくる人たちってかなり頭おかしくって面白いし、この仕事は面白そうだなぁ」と。

A:(爆笑) ちょ、ちょっと待ってください!今のセーフですか?

広報:いいですよ(^^)

加:(笑) で、僕昔は深夜ラジオ聞いてたり「ビックリハウス」って投稿雑誌に投稿してたり、ぴあのはみ出し記事チェックしたりしたんです。なので雑誌類は何かしら必ず読んでましたけど、ただファミコン通信っていう選択肢はその求人を見るまではまったくなかったですね。でもその求人見たときに、楽しそうでいいよなぁって思って応募したんです。

A:それが26歳のとき?

加:25ですね。6になる年でした。

A:その時の編集長は浜村さん?

加:や、塩崎さんでしたね。東府屋ファミ坊です。

A:1990年。スーパーファミコンが発売された年でした。

加:でしだっけ?91年じゃなかったっけ?

A:や、90年です。(※正確には90年11月。加藤氏入社直後でした)

加:あそうかぁ…。

A:ネットで加藤さんのことを調べると出てくるエピソードがありまして、最初の仕事が知恵蔵の読破だったと。

加:実話ですねそれは(笑)。僕も忘れてたんですが、浜村さんがパーティーか何かの席で「こいつ(加藤氏)は、入ってすぐの時に何か仕事ないかって言うから、知恵蔵読めって渡したら本当に読んだんだよ」って言ったんです。それで「あぁぁ俺読んだ!どんだけ酷い上司だ」って(笑)。でもすごい勉強になりましたよ。今はもう中身ぜんぜん憶えてないけど(笑)。

A:他は何されてました?

加:それ読んでたときは何も仕事なかったです。確か最初出社したときスーツ着てきたんですよ。そしたらめっちゃ浮いちゃって(笑)、おまけに誰もいない。で、朝いるのが浜村さんくらいで(笑)。あと一応僕の席はここって言われたんですど、右隣の席使ってるスタパ斉藤さんが、僕の椅子も横に並べて寝ちゃってるんですよ(笑)。仕方ないから喫煙所で煙草吸って、来た人に「今日からお世話になりますー」って挨拶したり。何日かそんな日があって、ももくりたき子さんって人が左隣だったんですけど、その方が「カトちゃん伝言板の返事書かない?」って言われて、伝言板の返事書いたのが…たぶん最初に何か書いた仕事だったと思います。内容は全く忘れましたけど。

A:でしょうねぇ(笑)

加:そんな頃に浜村さんに「やる事ないんですけどー」みたいなこと言いに行ったら「じゃこれ読め」って知恵蔵渡されて読んだんだったなぁ確か。

A:(笑)

加:その頃は編集部全体でも二十人くらいしかいなかったんで、みんな和気藹々とやったし、みんなすごい仕事量をこなしてたし、楽しかったですねぇ。

A:ちょうどハード戦争なんて言葉が出始めた頃でしたね。

加:そうそう、スーファミが出るか出ないかの時期でした。僕スーファミが出た後も全然買えなかったんです。どこも売り切れで。

A:えー

加:なのでイマジニアさんの広報さんが買ったやつを売って貰ったのを憶えてます。

A:(笑) こ、これ書いていいのかなぁ(笑)

加:いや問題ないとは思いますけどね(笑)。もちろんちゃんとお金払いましたし。僕自身イマジニアさんが大好きだったんですよ。PCのシミュレーションゲームをすごい出してたじゃないですか。シムシティだとか全部イマジニアさんが輸入してましたし。僕ファミ通入って初めてPC触ったんですけど、ファミコンとゲーセンしか知らないから「なんじゃこりゃあ!?」って感動して、片っ端からはまったんですよ。なので「イマジニアは神」ってくらいに思ってたんですけど(笑)、そのメーカーさんと仲良くなれちゃうのが、ものすごいこう…ウシシっていうか(笑)

A:わかりますわかります(笑)

加:さっきも言いましたけど、当時は編集部も人数少なかったし、入ってすぐいろんなことやらされたんです。入って一年くらいの頃に「ゲームサミット」って企画を考えたんです。世界各国のゲームクリエータを会わせようと。で、それをやるとなると当然自分に振られるんですよ。そんな時に頼るのはイマジニアさんとかですよね。自分英語も喋れないし(笑)。なので確かその記事の通訳もイマジニアの方にお願いしました。

A:へええええ。狭い業界が一層狭くなっていくような(笑)

加:ていうよりも、みんなで面白いこと一生懸命やって、面白いもの作ろうぜーみたいな気持ちがすっごい強かったですね。本当に面白かった。

A:入社五年で班長になられたわけですが?

加:や、僕もうその時三十歳じゃないですか?一端の男になってないとまずいですよね?あと僕25歳でアスキーに入ってるんで、結構年齢上なんですよ。十代でバイトとして入ってきたコとかいるんで、もうメインどころで活躍しなさいみたいな雰囲気なんですよね、5年もやってると。業界自体も若かったし。

A:ですねぇ、僕の会社は年配の人が多いんで感覚が違いますね、たぶん。

加:だからそれはもう、そういう時代だったってだけの話ですよ。僕は人を管理するとかいう仕事に全く向いてるとは思っていないし、そういう仕事をよくやってたなぁと思うんですけど(笑)

A:立場が人を作るんですかねぇ。

加:そういうことですよね。やんなきゃいけないことはわかるし、それはやるし。そういう風にいろんな事をやってきたら、いつのまにか編集長になってたってだけの話で…それもやっぱり、なんかこぅ面白いことやんなきゃとか、今こういうことが必要なんじゃないかとか、そういうものの延長線上ですよね。編集長やるのもいい記事書くのも、意識の差はあんまりなかったなぁ。

A:受け身では仕事は出来ない?

加:半分受け身ですけどね。ゼロからこういう雑誌を作ろうって言ってやってきたわけじゃないんで。ただ自分たちがやりたい事とか提案したいことを、メーカーやユーザーが求める事とすり合わせたりしながら作って、結果雑誌も売れて読者も満足して僕らもやったなと思える。そうやって全員がハッピーになれるのが一番なんですよね?それを目指すだけじゃないですか、仕事って。だからどんな事でもそれはファミ通をいいものにして、結果読者のためになるからやってる。ユーザーがハッピーになることと、ゲーム業界がハッピーになることは繋がってると思ってるんで。

A:……。

加:でも徹夜とか多いし、無我夢中でやってただけですね。一週間泊まって帰るみたいな生活になってましたし。それで結婚してたのがすごいよね(笑)。でもそれで当時の奥さんを悲しませて離婚したのは、すごく負い目として持ってます(苦笑)

A:今知った!加藤さんバツイチなんですか!?

加:はい。で、二回目の結婚もして子供もいるんですが、よく「家庭を大事にされるんですねぇ」とか言われると…(笑)

A:心臓の奥底がチクチクと(笑)

加:周りの人も「アイツ昔は毎週一週間泊り込んでて離婚もしてるじゃん!」って思ってると思うんですけど(笑)。まあそういうことを経て、改善すべきことを改善したと…(苦笑)。今は家の事も、がんばってやるようになったーみたいな(照笑)

A:ツイッター見てると涙ぐましいほどのお父さんぶりですもんねぇ(笑)。

加:そういう意識はあんまりないですけど、やんないよりやった方がいいかと(笑)。そこあんまり強調しないでくださいね(笑)

A:いやいやいやいや(笑)
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