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ゲーム論説ブログ

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年の一割

2012/12/21 19:44 Category:日記、雑記
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度目の年越しに再びこの言葉を。
「伝統芸能の九割は技術。あとの一割は魔性である」
 司馬遼太郎の言である。

 今年に限った話ではないが、Xboxのみならず、ゲームやITという世界がこの言葉にまとめられそうな年であったと思う。
 3DSやキネクトといった新たなインターフェイスの登場という技術。それを広める魅力的なタイトルという魔性。
 ミドルウェアなどの技術面が注目されるようになり、それにより生み出される魔性のタイトルの評価も比例して高まる。
 メーカーの技術力とクリエーターの魔性が生み出す、珠玉のタイトルに胸躍らせもした。
 ファミコン誕生から来年で三十年。ようやく伝統の端くれくらいにはなってきたゲーム業界は、これからも文豪の言葉通り、技術と魔性の練磨に勤しむ必要があるのだろう。

 魔性に対する価値観が問われた一年でもあった。
 いわゆるコンプガチャに対する規制問題では、魔性と金銭の整合という、メーカーと消費者の志気に法の楔が打ち込まれ、大手掲示板サイトが行った、一部個人ブログに対する転載禁止措置は、偏向情報と思想的一体感という魔性への警鐘が打ち鳴らされた。
 一割の魔性が、九割の技術のあり方を変えてしまうのだ。

 年が変わる。
 来る年を想い、皮算用を楽しむのもこの時期ならではだろう。
 そういえば、来年はXboxの次世代機発表との噂もあったか。一割の噂が一年を楽しみにしてくれることもある。

 皆様、よい一割を見つけて、よいお年を。
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雑感・アサシンクリード3

2012/12/06 23:12 Category:ソフトレビュー
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ac3
前、このタイトルと同じUBI社がリリースしたアクションゲーム『プリンスオブペルシャ』の雑感を認めた時、アクションゲームはツンデレであるべきだとの持論を語った。
 一見難度の高そうなステージやアクションを、さり気ないデザインやカメラワークで助けてくれる絶妙な設計を指してこう述べた。
 推しも推されぬUBIの看板タイトル。その正史5作目にあたる本作を一通り終えて思うのは、良くも悪くもデレが足りないという事だった。

 遺伝子に眠る記憶を呼び起こす装置『アニムス』
 それを使い、デズモンド・マイルズの内に色濃く残る記憶を探り、先史文明の秘宝『エデンの果実』を求める二つの組織。
 人類の画一的規範による統一を目論むテンプル騎士団。そして個の自由意志を守らんとするアサシン教団。
 だが事態は、そんな人類の諍いを超越して進行していた。
 太陽フレアの爆発により、全人類が存亡の岐路に立たされようとしている。かつてそれを予見しながら回避できなかった先史文明は、壊滅を回避する最後の手段を遺していた。
 しかしそこへ至る鍵は失われて久しく、唯一の手掛かりもまた、デズモンドの中に封じられているのである。
 時は18世紀。鍵は新大陸と呼ばれて間もないあの大国の片隅で、数奇な運命に翻弄された、一人の子供に受け継がれていた…。

 シリーズファンには説明不要の、山を飛び谷を越えるフリーランアクションを主軸に、ミッション形式のストーリーを進めていく王道的箱庭アクション。
 新要素として、帆船を操り戦う海戦パートが追加された。これがなかなかに面白いので、ここだけ別のゲームとして出して欲しいところだ。
 そしてフロンティアの大自然の中で、動物を狩るハンティングの要素も追加されている。ただ遮二無二飛び掛るのではなく、いらぬ傷をつけないようハントする智恵が試される。
 またシリーズ恒例の育成パートは、今回交易という形になった。ハンティングで得た品や交易で獲得した品で、アイテムを作ったりもできる。
 メインのストーリーミッションは、人類存亡の文字通りの鍵を握る二人の主人公を操り(これくらいはネタバレにならないです)、アメリカ独立戦争の影にあった、語られることのない戦いを追体験していく。
 主目標をなぞるだけならなんとかなるが、より高いシンクロ率(スコア)を獲得するために設定された副目標に手を出すと、途端に牙をむく難易度はシリーズ屈指。
 そう、私がデレの足りなさを感じた第一の点がここなのだ。
 無論全くクリア不可能というわけではない。恐らくはその目標も達成できる設計が為されているのだと思う。だがその難度がすこぶる高く感じるのだ。

 デレの話が出たついでに、他にもデレの不足を感じた点を列挙してしまおう。
 まず新要素である交易と海戦。それ自体はわかりやすいシステムなのだが、本編にどの程度メリットがあり、また恙無くこなすにはどうすればよいのかの説明が、今一つ足りない気がしたのだ。
 事実交易モードでゲーム序盤に放った輸送隊が、クリアしてなお戻ることがなく、送り出した後の事がわからないのだ。
 私の読み込み不足もあるのかもしれないが、取説が年々薄くなっていく風潮にある昨今、この欠如感は些か目に付いてしまう。
 次に選択肢の過剰。わかりやすく言えば、フリーランニングの副作用といえるだろうか。
 例えば、壁に挟まれた一本道で、標的を真正面に捉えて追っているとする。プレイヤーはRトリガを押しながらダッシュをするだろう。こうすることで早く走れる他、多少の障害物を飛び越えたり、壁をよじ登ったりすることが出来るようになる。
 だが同時に、少し触れただけの障害物に掴まってしまったり、ジャンプした丁度そこにあった壁の突起につかまって真横を向いてしまったり、プレイヤーの意図しない行動をとる事が多々あるのだ。
 こればかりはゲームの面白さを作る上で、排除してはならない部分なのだろう。だがせめてイベントシーンにあっては、こうした弊害を取り去る工夫は出来なかっただろうか。縦横無尽に広がる道が、プレイヤーを迷わせてしまっているのが口惜しい。
 そして何よりデレ不足を感じてしまったのがストーリーだった。
 誤解が無いよう書き添えるが、それはシナリオ自体というより、演出法に不足があるように思える。語るべきところで語るものが足りなかったり、語りすぎて冗長さを感じる部分があったり、比喩や暗示が多く主文がぼやけてしまった感も否めない。
 クリアした瞬間、頭上にメタル○アの如く?マークが浮かんだのは、私だけだろうか?

 短所ばかり書いては嫌われるので、長所も同様に連ねてみる。
 まず何より海戦パート。しつこいようだが私個人は相当気に入っている。
 テンポはスローであり、暗殺というゲームの主題からもだいぶ外れはするが、風を読み敵の先手を打ち、乗組員を細胞とするひとつの生き物のように海を駆け、敵艦を枯葉の如く砕く様はなかなかに気持ちが良い。
 次にビジュアル。過去作は石と土の文明が舞台であったが、本作は木と煉瓦の文明が舞台。古くも美しい建築郡の再現度はもとより、大自然の再現に挑んだフロンティアステージの描き込みも見事。
 そしてシリーズ最大の魅力でもある、歴史のifに踏み込んだシナリオは今回も健在。ジョージ・ワシントンやベンジャミン・フランクリンといった、教科書の常連と関わりながら、歴史の影を追体験する愉悦は、歴史マニアならずともほくそ笑んでしまう。

 その開発スピードの速さはもとより、作を重ねるごとに進化する部分とかわらない部分の磨き上げが素晴らしく上がっていく、シリーズタイトルの規範のような一本。
 デレの足りないお高い仕上がりではあるようだが、攻め落とす愉悦は保障されるだろう。

みかんのねた

2012/12/03 19:10 Category:日記、雑記
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服屋の若旦那が、ある日突然床に伏せる。医者は気の病だというが、両親にも胸の内をあかさない。そこで幼い頃から親しんできた番頭がわけを聞くと、彼はみかんが食べたいと言う。
 そんなことならと承知してしまった番頭。だが土用も近い夏の盛りにみかんなどあるはずもない。藁にも縋るように青物問屋に行くと、蔵の中にとってあったみかんのうち、たった一つが奇跡的に痛まず残っていた。
 事情を知った問屋はただでいいと言うが、大店のプライドが働いた番頭は「金に糸目はつけぬ」と大見得を切る。辟易した問屋は「それなら千両で」と大見得を返す。
 びっくりした番頭は呉服屋に飛んで帰り、大旦那に事情を話す。すると大旦那は「息子の命が買えるなら安いもの」と千両を渡したもんだから、番頭さん二度びっくり。
 古典落語の傑作『千両みかん』である。

 近年ツイッターやまとめブログを見るにつけ、この噺が想起される。ここで言うみかんとは情報のことである。
 面白いツイートや珍しい写真、2ちゃんねるのまとめ記事がRTされたりRSSで上がったり、意外な方面から意外な情報を得ることも少なくなくなった。
 しかし私が疑問に思うのが、全く無関係なアカウントが全文をそのまま自身のアカウントから発信したり、RSS記事を並べただけのブログが多く存在することである。

 私はそれ自体を非難するつもりはない。だが賎しくも情報の一端を担う身分として、そうした行為をみるたび寂しさのようなものをおぼえる。
 面白いツイートは多く拡散されるだろうし、面白い記事に張られたリンクは多くヒット数を稼ぐだろう。だがそれで、発信者が得られるモノは何か?

 みかんを持ち帰った番頭は若旦那に差し出す。若旦那はうまそうに食べるが、番頭は「ああ皮だけでも五両するわ勿体無い」と気が気でない。
 やがて若旦那はみかんを三袋残して番頭に渡す。両親と番頭さんへのお礼だという。番頭はそれを受け取り大旦那の元へ行く。がその途中で立ち止まる。
「待てよ?あのみかん一つで千両ちゅうことは、この三袋でも三百両はあるわな?暖簾分けしてもあの大旦那が持たせてくれるのは精々五十両や……えぇい後は野となれ山となれ!!」
 番頭はみかんの食べかけを持って逐電した。

 昨今多少の情報なら、あたりまえのように無料で享受できる。身銭を切って得る感慨など皆無だろう。だが提供者にとっては、きっとそれが何かをもたらしているからこそ、提供し続けているのだ。
 それは何か?それは本当に価値のあるものなのか?
 ただのみかんのために、何か大切なものを犠牲にしている人がいるようで、悲しい。

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ATUSI

Author:ATUSI
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