a-360

ゲーム論説ブログ

スポンサーサイト

--/--/-- --:-- Category:スポンサー広告
TB(-) | CM(-)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ゴーストリコン フューチャーソルジャー日本語版最速体験会に行ってきた

2012/05/27 21:03 Category:イベントレポート
TB(1) | CM(0)

5月27日。秋葉原ヨドバシカメラにて行われた、ゴーストリコン・フューチャーソルジャー体験会に行って来た。
 TPSを代表する人気シリーズの最新作に、直に触れられる貴重な機会だけあって、開始直後から行列ができる盛況振りであった。
 一時間ほど並んでようやくプレイできた、その感想をまとめよう。

 グラフィックはもはや説明不要。ワンウェイシュータとしては当代最高峰に磨き上げられている。
 壁の質感や人物の挙動はもとより、埃や煙やスイカに至るディティールへのこだわり。そしてそれらを描きこんでも、処理落ちもマッピング遅れも起こさないあたりはさすがである。
 残念ながら序盤であったため(しかも途中で死んだw)すべてを見ることは出来なかったが、ファーストコンタクトとしてはこの「当たり障りの無さ」をむしろ評価すべきではないだろうか。
 即ち、操作法やHUDなどのインターフェイスが、実にしっくり嵌っていた事を意味するのだ。
 林立するシューターの中にあって、普遍的かつシステムを殺さない操作法というのは案外難しいと思う。何も感じないからこそ感じた、質の高さなのだろう。
 まだマークアンドキルもガンスミスも試せていない故リポートはこのくらいに控えるが、発売日が相当に楽しみになったことだけは明記しておきたい。

 さて、もらったフェイスマスクはいつ使おう?
スポンサーサイト

雑感・マインクラフト

2012/05/23 19:57 Category:ソフトレビュー
TB(1) | CM(0)

mc
の創作の原点は、レゴブロックにあると思う。
 規則性に則ったブロックを組んでは壊し組んでは壊し、ずっと遊んでいた記憶がある。
 ブロックは私の手の上で千変万化した。飛行機が車になり、家が山になり、剣がケーキにもなった。
 極限まで普遍化したブロックは、創造者の想像力を以って形を補完され、無限の答えを用意してくれた。

 このゲームをゲーム版レゴブロックと評した人もいたが、私は『世界を救わないドラクエ1』と例えたい。
 ハードの制約が生んだ、記号を並べて世界を表現するという手法が、時を経てその規模とシステムに革命を与えたのである。

 世界を救う必要はない。ゲーム開始直後、あたに与えられるのはその『世界』である。草原、山、海、樹木、草花、砂岩。すべてあなたのものだ。
 この世界はキューブ単位で存在する。液体も固体も材木も、すべて同じサイズの1キューブ毎に扱われる。それらを好きに切り貼りし、あなたはこの世界に干渉するのだ。
 無論自由自在にとは行かない。それぞれのキューブを切り出すには、材質に見合った道具が必要である。単純に掘るだけなら素手で可能だが、中にはある種の道具を使わないと、掘ったものを資源として使えない鉱物も存在する。
 当然その道具を得るためには、同じく資源となる素材のキューブが必要であり、そうしてより良い道具を獲得できれば、より効率的な生産が行える。
 食料を得るための手段は農耕、牧畜、そして漁業。農産物は小麦とサトウキビ、牧畜は豚と牛、漁業は魚を得る。
 無論これもゲームの目的にはならない。ライフ回復は食料によってのみ可能(寝ても回復しないという斬新なシステム!)だが、最低難易度では敵が出現しない上、ライフは自動的に回復する。
 敵が出るからといって、ボスキャラはいない。敵を倒さないと獲得できないアイテムもあるが、それもあくまで生産の補助でしかない。

 では結局、このゲームの目的は何か?それはあなたが決めればいいのだ。
 この点がレゴブロックといわれる所以であろう。山ほどのレゴをもらって、何をすればいいか?と聞かれても困る。あなたがそれで何をしたいかが重要なのだ。
 山一つ掘り尽くして平地にするもよし、マップを横断するトロッコ列車を作るもよし。ラシュモア山のような彫像を作るのも、天に届くような塔を作るのも、地の底に向かう洞窟を掘るのも、すべてあなたの思いのままなのだ。
 液体と一部の素材を除いて、キューブは宙に浮かせて置くことさえできる。物理法則は皆無。描きたい世界を力の限り描くことが出来る。
 まるでドラクエ1の時代のように、グラフィックとシステムを限りなくシンプルにしたからこそできる、恐るべき自由度を持ったゲームなのである。

 さぁ、次はどんな世界を作ろうか。

客の勝ち負け

2012/05/11 18:42 Category:業界
TB(0) | CM(0)

めてこの話をさせてもらう。長年ご愛読頂いている方には目垢がついた話だろうが、こうした話題にはやはりこの話が一番しっくり来るのだ。

 作家の永六輔が学生時代、親交のあった陶芸家の河井寛次郎と共に、京都清水の坂を散歩していたときのこと。永青年がとある道具屋の店先に置かれた、小さな蕎麦猪口に目を留めた。
「ほう、いいねそれ」
 視線の先に気付いた河井氏も褒める。名のある陶芸家に審美眼を見立てられれば、そりゃあ得意になるもの。
「いいでしょうこれ?」
「いくらだろうね?」
「僕は一万円でも買いますね」
 本当は千円くらいだと踏んでいたが、得意になった気分も手伝って大きく出た。
「そうか、じゃ買ってきなさい。ここで待ってるから」
 言われた永青年は店に入る。
「ごめんください、あそこにある蕎麦猪口はおいくらですか?」
「へぇ、五百円になります」
 それは安いと喜び、永青年はすぐ買って戻る。
「買って来ました先生」
「いくらだったね?」
「五百円でした」
「そりゃあやすいね」
 二人はそう言って歩き出す。と、すぐさま河井氏が足を止めた。
「まさか君、それで五百円払って来たんじゃないだろうね?」
「ええ、払いました」
「なぜ一万円払わない?」
 永青年はわけがわからない。
「だって、五百円ですから…」
「君は一万円だと言ったじゃないか」
「でもお店は…」
「そういうことじゃない。君がその蕎麦猪口に一万円をつけたなら、なぜそれを通さない?自分の言葉に責任も持つべきだ。一万円払ってくるまで君とは口をきかん」
 敬愛する氏に臍を曲げられてはかなわないと、永青年は道具屋に戻る。
「すみません、さっきの蕎麦猪口なんですが」
「はいなんでしょう?」
「一万円で買わせてください」
「…はい?」
「いや、ですからあと9500円で」
「あ、おつりがご入用で?」
「違うんですあの、この一万円で…」
「えー、あ、じゃあこちらもお付けしまして」
「いりませんいりません!」
 と、コントのような悶着の後、押し付けるように一万円を払って戻ってきた。
「…払ってきました」
 不服そうな永青年。対する河井氏は満足げな顔をしている。
「うんうん。それでいいんだ。君がそれに一万円もの値をつけたという事は、君がそれに負けたという事だ。負けた相手には礼を尽くさなきゃいけないよ」
 値段は売り手がつけて当然という時代になって久しい現代。河井が語った買い物における買い手と売り手の関係性は、どこか新鮮である。

 近年雨後の筍のように頻出し、破竹の勢いで急成長を続けるソーシャルゲーム市場に、思わぬブレーキがかかりそうである。
 有料で引ける籤でアイテムを当て、それを複数集めてよりよいアイテムを獲得するシステム、いわゆる『コンプガチャ』に対し、消費者庁は景品表示法に定める「絵合わせ」に当たるものとし、対策を検討しているという(5月10日現在)
 ソーシャル市場の稼ぎ頭にして、その射幸性の高さが取り沙汰されてきたシステムだけに、市場全体への影響は未知数であろう。
 同様のサービスを展開する大手各社は、すでに今月一杯でコンプガチャを中止することを決めているという。
 消費者庁は「子供が月数十万円請求される事例もあり、一定の規制をしなければならない」としているが、私個人はどうしてもこの一連の経緯に、気持ちわるさを感じずにはいられない。

 極論かもしれないが、与えられる対価を明確にし、支払いの額と仕組みをきちんと理解し、それに対して支払う能力を有する限り、これを行うか否かは消費者の判断でしかないのではなかろうか。
 先述の河井氏の言を借りれば、消費者がコンプガチャに負けたのなら、礼は消費者が尽くせばいい。お上が出るべき場面は、そこに極端な公平性の欠如と、当初の契約の不履行があった場合程度にすべきではなかろうか。
 コンプガチャの仕組みそのものに違法性があるならそう言えばいい。多額の金銭を支払った人をさも『被害者』と呼ぶような風潮に、どうしても違和感を覚えずにいられないのだ。

 全くの気のせいかも知れないが、PL法が施行された辺りから、消費者の責任というものが過剰に軽視されている気がしてならない。
 製造物により発生した事故を、その製品の安全性の欠如と一絡げにし、責任を製造者に転嫁してしまっては、いつまで経っても賢い消費者など育ちようはなく、同様の事故が絶える事はあるまい。
 以前、鉛筆のキャップに小さな穴を空けているメーカーを見た。子供が誤飲した際、窒息しないよう空気穴を開けていると言っていた。
 さも素晴らしい工夫であるように取り上げられていたが、もし穴の開いていないキャップを誤飲して子供が窒息失した場合、その責任はメーカーが問われてしまうのかと思うと、心底ゾッとした。
 その前に絶対的になければならない要素。そうしたものを口に入れてはならないという、人間として至極当たり前の事を教育すべきだという考えが、すっぽり抜け落ちている気がしてならなかった。

 話を戻す。コンプガチャに違法性があるか否かは、司法が決めればよい。だがそうであったとして、買った人間は被害者であり一分の責任もないかといえば、そんなことはあり得ない。そうした仕組みと価格に負けたのだから。
 昨今難しいことかもしれないが、負けて礼を尽くす価値がある商品と価格であるかどうかを、見極められる消費者になればいいのだ。

 冒頭の話には続きがある。
 永青年は悔し紛れに河合氏に聞いた。
「じゃあこの蕎麦猪口が十万円だと言われたらどうすればいいんです?」
 河合氏はこともなげに答える。
「そうしたら一万円に負けてくれるまで、あそこに通って値切りなさい。君が決めた値段なんだから」
 値切れないのならどうするか。その先の選択が、あなたが賢い消費者であるか否かの分水嶺なのかも知れない。

プロフィール

ATUSI

Author:ATUSI
ツイッター・@ATUSIBOX
 






原稿依頼やお問い合わせは
[V]←こちらをクリックして
お送りください

無料アクセス解析

>


検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。