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ゲーム論説ブログ

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雑感・Call of Duty:Modern Warfare 3

2011/11/29 22:27 Category:ソフトレビュー
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MW3
回は枕の文もそこそこに解説を始めたい。このタイトルに興味がある人は、まず前作はやっているだろうし、三作目ともなれば枕のネタも切れる(失言)。
 第二次大戦を描いた傑作FPSシリーズが、舞台を現代に変えて三作目。着実な進化と普遍の面白さを携え、現代戦FPSの究極形と、第三次世界大戦の姿を提示する。

 新たな世界構造の建設を目論む、ロシア超国家主義の暗躍は続いていた。
 その始祖イムラン・ザカエフは、ジョン・プライズ率いる英国SASと米海兵隊により、米への核攻撃という野望を阻止される。
 だが五年後。ロシアではザカエフ派の大統領が誕生。超国家主義のトップに立った「狂犬」ウラジミール・マカロフは、武器密輸や麻薬密売などにも手を染め、次第にその力を拡大していった。
 対マカロフのためにのみ組織された多国籍部隊「タスクフォース141」は、マカロフの仕掛けた国家間の混乱と、ある男の裏切りにより、お尋ね者の非正規部隊扱いとされてしまう。だがプライズ以下構成員の鼻息は荒く、ほぼ単独でマカロフを追っていた。
 そんな中、マカロフの狂気が星火燎原の如く広まり始める。ロシア軍の手が、いよいよアメリカ東海岸にまで伸び、そして最悪の兵器が放たれる。
 世界が怖れた第三次世界大戦が、最大火力で燃え上がろうとしていた…。

 前作、前々作ですでに完成されていたグラフィックはさらにブラッシュアップされ、埃や金属の艶まで見せる仕上がりは、当代据え置き機の骨頂を見るようである。
 また現代戦のテーマに恥じぬハイテク兵器の数々と、ゲームへの組み込み方も見事。一気に劣勢を覆してしまう火力に魅入ってしまうだろう。
 ゲームモードは、キャンペーン、オンライン、スペシャルオプスの三つが主体。際立った進化はないが、しっかりと作りこまれたシステムと、きちんとサイトの真ん中に飛んでいく銃弾が心地よく、レベルアップするごとにふえていく装備の豊富さと、それによって様変わりする戦略性がたまらない。
 また今回新たに、一定のマップ内で波状攻撃の如く押し寄せる敵を殲滅するモードが追加。オンラインでの協力プレイも可能で、やりこみの幅が広がった。

 しかして私は、今回…否、このモダンウォーフェアシリーズ通して見られる、あまりにも格好良くない戦争の描かれ方に注目して欲しいのだ。
 あまり書くとネタバレになってしまうのが辛いが、ヒロイズムやグローバリズムといった、ある種安易なお涙頂戴ストーリーには決してならず、かといって夢も希望もない現実的なシナリオとも違う、哲学的な深みを内包した物語を、シリーズを通してじっくり味わって欲しい。

 ゲームに「映画のよう」という賛辞が使われるようになって久しいが、このゲームにはある種ゲームなればこそ成し得た、映画以上の迫力と面白さがある。
 世界で最も売れたゲーム。その真価と進化をその目で確かめ、現代にゲーマーである幸福に酔いしれて欲しい。
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雑感・HALO combat evolved anniversary

2011/11/27 10:02 Category:ソフトレビュー
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hcea
ームの面白さはハードの性能に依存するか?
 ゲームが3Dの表現を可能にした頃から、この疑問に多くのクリエータ、ライター、そしてゲーマーたちが、時に意識的に時に無意識にアプローチしてきた。
 ゲームの面白さの根幹はシステムそのものにある。だがそれを実現し表現するハードがなくてはならない。システム側の要求が高すぎても、ハード側の許容がでかすぎてもよろしくない。どちらかの片思いでは、よいゲームは生まれないものだ。
 だが時に、ハードの性能に関係なく…否。ハードの性能にぴたりと嵌るシステムを組み立てるクリエータが現れる。我々はそれを時代の寵児、あるいは天才と呼んでいる。

 天才の片鱗を見た気がする。否、もう既に十年続くシリーズであるのだから、これはその立証というべきなのだろう。
 Xboxの旗艦タイトル「HALO」その第一作が、十年の時を経て復活する。

 遠い未来。人類と外宇宙知的生命体の邂逅という、地球史の一大イベントは、人類滅亡への序曲になってしまった。
 様々な種族で構成され、宗教的基盤により統率された異星人連合軍「コヴナント」の圧倒的軍事力の前に、人類は瞬く間に窮地に立たされる。
 国連宇宙軍戦艦「オータム」は、コヴナント艦隊の追撃から逃れるため、超空間航行を試みるも、振り切ることは叶わず、陥落寸前に追い込まれる。
 キース艦長は二つの賭けに出る。ひとつは、眼前に出現した未確認の環状惑星に不時着を試みること。そしてもうひとつは、地球と人類のすべてを知るAI「コルタナ」を守り、この窮地を救える唯一の可能性を発動すること。
 長いコールドスリープから目覚めたのは、コヴナントに対抗すべく、遺伝子操作と特殊訓練の下で生み出された兵士「スパルタン計画」最後の一人。コードネーム「マスター・チーフ」
 長い長い、人類最後の叙事詩が始まろうとしていた…。

 ゲームシステムに関する細やかな説明は省かせていただこう。それよりも今回は、やはりリメイクという点に注目してもらいたい。
 第一作にして完成されていたシステムはそのままに、グラフィックと音楽を大幅に作り変えている。マップ等の変更もないので、当時からお馴染みのファンは本能のように歩みを進められる。
 無論それだけではなく、キネクトの音声操作によるアイテムコレクションや、何気ないオブジェクトにサブストーリーが隠されていたり、独自要素も多い。
 しかし私が一番感心したのは、初代Xbox版のモデリングを「クラシック」としてそのまま収録してあることだった。しかもゲーム中いつでも、バックボタンで切り替えが可能なのである。
 長年のXboxファンにはたまらないだろう。リメイク映像でマップ構成や敵の出現パターンに懐かしさを覚えながら、クラシックに切り替えてその大味なモデリングにまた涙できるのだ。

 これだけの大作のレビューにしては短いが、このくらいでもう十分だと想っている。リメイクモードを遊んでいてわかった。まるで新作のような感動と手応えがある。やはりHALOは普遍なのだ、と。

 すべての360ユーザーに遊んで欲しい、これこそがXboxの象徴。FPSの寵児なのだ。

X of X (9) 時代の終

2011/11/22 18:52 Category:X of X
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2005年12月10日。Xbox360が日本で発売。MSコンシューマハードへの挑戦、その第2幕が切って落とされた。
 世界市場はもとより、国内における失地回復への意気込みはすさまじく、海外作品のローカライズや国産タイトルの充実を積極的に展開。2007年10月末には、360の販売台数が初代のそれを越えた。
 2009年3月には、部品の確保や体制維持の困難さから、初代Xboxへの修理提供が終了。同月末、世代の変換を象徴するように、360が悲願の100万台セールスを達成する。
 そして2010年4月15日。初代Xbox向けのLIVEサービスが終了。マイクロソフト初のハードウェアは、こうして時代の舞台から降りていった。

 PC向けソフトウェアの分野で、国籍問わず圧倒的なシェアと存在感を誇示する巨人、マイクロソフト。
 しかし、ビジネスツールとは真逆に位置する娯楽市場と、日本という特異な文化土壌の上で、思わぬ苦戦を強いられてきた。
 十年に渡る巨人の戦いの中で、生み出されたもの、残されたもの、そして消えていったもの。
 それは何だったのか?

おねだん以上の文化

2011/11/14 19:49 Category:業界
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舞伎役者がよく「○○屋」という屋号で呼ばれる理由をご存知だろうか?
 近代以前。歌舞伎や落語、相撲や大道芸などを志す者は、社会の人間として扱われなかった。
 社会とはいわゆる士農工商がそれであり、物を生産し販売するシステムと、それを管理するシステムのことであり、物を生まずに金を得ようとする人々は「かわら者」と呼ばれ、侮蔑の対象にもなっていた。
 しかし彼らは同時に、社会に与する事を強く望んで止まなかった。歌舞伎役者が屋号を名乗るのは、我々も世間様同様に商いをしていますよという、自己主張の表れなのだ。
 余談だが、ある落語家が税務署から税金を納めに来るよう言われたとき、うれしさの余り紋付袴に提燈立てて、真打襲名のお練のような行列を組んで税務署に参じたという逸話も残っている。
 歌舞伎役者が受勲したり、落語家が人間国宝に選ばれるようになった近代から見れば、隔世の感も一入だが、彼らに金を払う消費者の意識もまた、随分と様変わりしたように思える。

 過日、ツイッターでこんな意見を見た。ゲームをコミックスのような分巻にして販売できないだろうか?というものだ。
 ゲーム一本の価格があまりに高く、これでは不良作や不適作に出会ったときのリスクが高い。入り口を安く提供し、続きが遊びたいと思ったら先を買い、自分には合わないと思ったらやめる。というものだ。

 私の意見を結論から書こう。甘ったれるな。

 確かにゲーム一本の価格は安くない。特に昨今その傾向は著しい。だがゲームは、途中でやめることなど前提に設計はしない。最初の一文字からエンドマークまで、プログラムは全て繋がっているのだ。
 もしこうしたシステムが実現されたら?当然作り手は全部買わせたいと願う。どこで区切るか、どう引っ張るかという話にもなる。ストーリー主体のゲームにとって、個性や作家性の邪魔にしかなるまい。
 またこういう場合、二巻以降の売り上げが一巻の売り上げを超えることはありえない。そうすると当然予算に制約が生まれる。そうしないために一巻で多く本数をだそうと、悪戯に価格を下げたり内容を濃くしたりする。そうなればシリーズの尻すぼみを助長させ、ゲーム全体の評価を下げかねない。
 何よりユーザーの間に、どうせこういう風に作っているんだろうという物の見方が蔓延してしまうことが恐ろしいと思うのだ。

 いいゲームが安く買えたら。とは、当然誰もが願うことだろう。だがゲームはあくまで余興。その評価は十人十色あっていい。プレイした後、そのゲームを高かったと思うか安かったと思うかは、人によりけりなのは当然である。
 面白そうなゲームがある。しかし値段が高い。そう思ったならば買わなければいいのだ。
 永六輔の買い物の話は何度も引いたので割愛するが、それを買った人はそのゲームに負けたのだ。その分ゲームが面白ければ、負けた気持ちも癒される。つまらなければ負け分丸々損をする。だがその損は、あなたの価値観をあなたに教えてくれる授業料にもなる。
 身銭は切った分だけ見る眼を育てる。自身の楽しみのためにある趣味にまで、手軽さやコスト比較などに勤しんでは、本当にそれを楽しめるだろうか?

 要は「覚悟」を手軽にするべきではないと思う。
 ユーザーがメーカーに対し数千円を支払う覚悟が、ユーザーのゲームを見る目を養い、メーカーがユーザーに数千円を支払わせる覚悟が、よりよいゲームを生み出させる。
 ゲームは今や経済の一環となった。メーカーは屋号を名乗るまでもない。社会に与せねば生きることが出来なくなった。
 だが価値観まで、世間のそれに与するべきなのだろうか。価格が重視されるもの、品質が重視されるもの、耐久性が重視されるもの。品物には様々な価値がある。
 ゲームの価値を主張するため、安さや手軽さを排する必要と、それをユーザーに支払わせようという覚悟があるなら、それもまたよいのではないだろうか。
 軽い覚悟で売り買いが出来てしまったら、文化としての程度を落としかねない。手軽に生み出され過ぎ、安く多く作られすぎたアタリのゲーム機が何を招いたか…。

 もう一度言う。ユーザーもメーカーも甘ったれるな。自分が好きなものの価値くらい、自分で決めるべきだ。

とりかえし

2011/11/08 18:02 Category:日記、雑記
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りかえしのつかないことの第一歩 名付ければその名になるおまえ

 俵万智はこの歌で、名前というものの本質を詠んだ。
 名前とは奥深い。人に限らず、目に見えない事象にさえ命を宿してしまう。不景気とは目に見えないものだが、その言葉がメディアに登ると、誰もがそれを認識してしまうし、ごくごく小さなカテゴリでの流行や風潮も、名前を与えられれば突然その勢威を増長させる。

 積みゲー。
 恥ずかしながら私は、ごく最近までこの名前の意味するところを勘違いしていた。
 ソフトを買ってプレーし、クリアせずに放置してしまう行為がこれだと思っていたが、どうやら違うらしい。ソフトを買って、封すら開けずに棚に積んだまま放置することをこう呼ぶのだそうだ。
 私はこれを知って、言い様のない寂しさと、失望の念に押しつぶされそうになった。

 まず第一に、買って封すら開けないという概念が理解できなかった。私はソフトを買うと、電車の中で取説を読み、家に帰れば食事もそこそこにゲームを始めるほど、一本のゲームの購入という行為に対する熱意が強い。
 些か口幅ったく聞こえるが、数千円の買い物には、そのくらいの覚悟があって然るべきだと思う。
 第二に、その数があまりにも多いこと。
 ツイッターでぽつりとその事をつぶやいてみたら、経験者からの返信がわんさと来たのだ。ゲーマー全体で何人いるか、何本のゲームが詰まれているか、想像するだに恐ろしい。
 そして何より、その行為に対する自覚が、あまりに軽いと感じたのだ。

 積みゲーがなぜ発生するのかという原因は、各個人により様々であるようなのでここでは割愛する。しかし積みゲーにより生じる事象は、およそ纏められると思う。
 第一に…否、これがほぼすべてといっていいだろう。ソフトを手に出来ない人が現れるということだ。
 人気のある商品なら、供給が追いつかず品薄に陥るのは当然のこと。だが手にした人がそのソフトを積んでいたとしたらどうだろう?
 あなたがもし、手に出来なかった立場の人間だとしたら。手にした人が封も開けずに棚の隅にしまって置く事を、はたして納得できるだろうか?
 無論商原則上何の落ち度もない。買ったものは買った人のもの、どう扱おうが自由である。但し自由とは、他者の自由を害さない限りにおいて保障されるものである。
 何より作り手、メーカーの気持ちを慮ると、居た堪れない気持ちになるのだ。
 山のような費用と限られた時間を注ぎ込み、ユーザーの楽しみのため、自身の目指す高みのためと、一手間一手間組み上げてきたソフト。
 ようやく発売にこぎつげ、一本また一本とユーザーに届いていく。それだけでも万感の思いがあろう。
 しかしその中に、封すら解かれず積み上げられ、埃を被るソフトがあると知ったら。三年がかりで書いたユーザーへのラブレターを、受け取るだけ受けとって見向きもしないような行為が蔓延っていると知ったら…。

 繰り返すが、積む要因については追求しない。だが積んでしまうことをわかっていながら買うのはなぜか?ソフトは決して生ものではない。プレイする余裕が出来るまで、購入を待てなかった理由は何か?その一本を、プレイする時間も気持ちもある誰かに渡せなかった理由は何か?

 物や食料が溢れ、余剰分が履き捨てられたり、新商品に押されて淘汰されることも珍しくなくなった。積みゲーの正体を知り、文化すら飽和し履き棄てられているような…否、棄てずに死蔵されているのなら、それより惨い行いに見えて仕方がなかった。
 クリアしろ、などとは言わない。ゲームには向き不向きもある。あなたに合わないゲームを無理に薦めはしない。
 だがあなたが買ったそれは、自身の判断と責任において購入した、メーカーからの切ない一通の手紙である。封を解き、目を通すくらいはしてやらねば、あまりにも、あまりにも勿体無いと思わずには居られないのだ。

 名前の功罪をもう一つお教えしよう。
 法規や原則に反しない行為に名前が与えられると、どこか市民権が与えられ、ある程度容認されたような錯覚に陥ってしまうのだ。
 そのためか、古の人々はそうした行いや事象に、妖怪としての姿を与えることがあった。名を与えつつ律する気持ちの表れであったのだろう。
 積みゲーは業界を、クリエータの思いを喰う妖怪に思えてならない。律せよユーザー達よ。部屋の片隅のソフトを、そんな上等な名前で呼ぶな。
 名付ければ、その名になるのだ。

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