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ゲーム論説ブログ

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雑感・ギアーズオブウォー3

2011/09/28 19:27 Category:ソフトレビュー
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GoW3
FPSとTPSの違いは何か。無論視点以外の話である。
 HALOはFPSであることで、ストーリーへの没入間が増した。ではロストプラネットなどの作品が、TPSでなくてはならない理由はどこにあるのか。
 思うに「撃つ」以外のアクションの比重があるのではないだろうか。
 ロスプラの場合、撃つこと以外にワイヤーショットでの移動がひとつの肝となる。それをユーザーに示しやすくするには、自キャラが見えないFPSより、TPSのほうが扱いやすいのだ。

 TPSの名作にして、今やHALOと対を成すXboxの看板タイトル、ギアーズオブウォーの三作目が誕生した。新たな仲間とかわらぬシステムを携え、物語は佳境を迎える。

 惑星セラ。人類が新たな故郷と定めたその星は、美しい自然と、新エネルギー『イミュルシオン』に溢れ、そして脅威の生命力と知能を持つ土着生物『ローカスト』が跋扈していた。
 みるみるうちに人類を侵食していくローカストに対抗すべく、人類は衛星兵器『ドーンハンマー』を使用する。だがその矛先には、多くの民間人も残されていた。
 そして唯一の安住の地、ハシント高原を水没させることで、地下に潜むローカストを一網打尽にした。
 しかしそれは、束の間の安息を与えたに過ぎなかった。
 連合政府議長の失踪により、セラの統治機構は事実上壊滅。さらに変異種『ランベント』の出現が、人類を更なる窮地へと追い込む。
 残された人々は、それぞれに身を寄せるようにコミュニティを形成し、まるで難民のように過ごしていた。
 しかしそんな人類と、英雄マーカス・フェニックスに、一筋の光明が差し込んでくる。帰還した議長が携えた一枚のディスク。そこには、死んだと思われていたマーカスの父、アダムの姿が映っていた…。

 このゲームをプレイしてまず驚くのが、当代随一と呼ぶに相応しいグラフィックの緻密さだろう。シリーズ通して語られてきたことであるが、砂埃や差し込む光の表現は、一瞬心を奪われるほどだ。
 またオンライン要素も、ストーリーモードのCo-opプレイはもとより、様々なルールが用意された対戦プレイや、前作で好評を博したホードがより進化。ローカストとなって人類を撃退する逆ホード『ビースト』も実装するなど、プレイヤーを飽きさせない要素が満載である。
 極端な武器装備の変更は無く、シリーズを象徴するランサーやドーンハンマーも健在。真新しさよりも基礎をしっかり受け継いで進化させたシステムは、シリーズファンとして有難い。
 その分…というべきかはわからないが、ストーリーやマップのデザインは、毎度毎度凝っていて見ごたえがある。
 地底世界がメインだった前作と変わって、荒廃した都市や棄てられたリゾートでの戦いは、眺めているだけでも面白い。
 そして忘れてはならないのが、本作の代名詞ともいえる、遮蔽物を利用したカバーアクションだろう。
 銃弾を避けつつ遮蔽物に隠れ、攻撃の止む間に反撃に転じ、硝煙の向こうで敵が倒れれば、気分は戦争映画の主人公そのもの。このアクションをより効果的にわかりやすく表現するには、TPSという選択肢以外には無かっただろう。
 またダッシュ時に揺れながら追尾するカメラワークも、TPSだからこそ成し得た小技だ。小技ながらクセになる名演出ではないだろうか。

 TPSならではのシステムと、それを飾り立てる音と映像。そして三作目で綺麗にまとめられた物語。
 発売初週にして世界で300万本を売り上げた、まさにモンスター…もとい、ローカストタイトル。
 HALOと並ぶ、Xboxの必修科目に数えても問題はあるまい。
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X of X (7) 至高のPR

2011/09/22 09:00 Category:X of X
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の記憶が確かならば、それは2003年の東京ゲームショウでのことだった。
 初日終了後、当時のXboxオフィシャルファンサイトの管理人達と、マイクロソフト(以下MS)関係者及びファミ通Xbox編集部の方々との交流の席が持たれた。
 宴も佳境というところで、MSの社員何名かが立ち上がり、列席した人たちに話し始めた。その中に当時マーケティング本部長であった、泉水敬氏の姿もあった。
「Xboxの魅力を知ってもらうため、イベントや集会の席に我々を呼んでください。必要機材とすべてのXboxタイトルを持って出張します」

 ユーザー単位で行うゲームのイベントにとって、最大のネックとも言える機材の手配を、彼らが買って出ようというのだ。しかもこの時点で、MSはオフィシャルでこの企画を承認してはいない。
 触ってもらいたい、遊んでもらいたい。その思いだけで生み出された、わずか数名の自発的プロジェクトだった。

 蓋を開けてみれば、待ってましたといわんばかりに突撃隊へのオファーが相次いだ。学園祭の出し物からユーザー主催のオフ会。開催地も東京はもちろん、神奈川や大阪三重など全国に渡った。
 その後本部長に就任した丸山嘉浩氏により、突撃隊は正式なプロジェクトとなり、約30回もの出張を行う中で、多くのユーザーとふれあい、また多くの人々にXboxを知ってもらう機会を得ることが出来た。

 私も何度か参加し、主催に回ったこともあったが、突撃隊のイベントの中で何より特徴的であったのが、商売っ気のなさであったと思う。
 ゲームの販促イベントといえば、ポスターやコンパニオン等の演出がメインで、キーホルダーやらを配りまわるような印象があるが、突撃隊にはそれがまるでなかった。
  イベントそれ自体の企画運営は、あくまでユーザーに任され、突撃隊は機材の提供とサポートに徹した。
 そこにはハードやソフトを推し進めようという衒いはなく、あくまでゲームで遊んでもらおうという純粋なイベントの姿があった。
 モニタと本体を並べ、山ほどのソフトを置き、あとは好きに遊んで下さいなというような感じ。言わばでっかい子供部屋を作るようなイメージだ。
 売り上げに直結させようという目論見がないからこそ実現し得た、理想の草の根運動だろう。

 現在このプロジェクトは行われていない。草の根の活動が必要ないほどユーザーが増えたと思えば喜ばしいが、やはりあの楽しさを経験してしまうと、どこか寂しくもある。
 360にも、キネクトをはじめライト・ファミリー層に訴求すべき要素は多々ある。一段上がったステージの上で見せびらかすのではなく、同じフロアで楽しめるこのスタイルは、今こそ…否、いつの時代も、コンシューマ市場にとって最高のPRスタイルではないだろうか。

(続)

FROM SOFTWARE GameFesta 2011に行ってきた

2011/09/20 20:00 Category:イベントレポート
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度か使った記憶があるが、改めて司馬遼太郎の文言を引く。
『伝統工芸は、九割までが技術で、あと一割が魔性である。その魔性がどう昇華するかで、作品が決まってしまう』

 TGS最終日、幕張メッセに程近いホテルで行われた、『FROM SOFTWARE GameFesta 2011』に行ってきた。
 人数制限つきながら、発売前のアーマードコアVとダークソウルいずれかを体験できるとあって、整理券配布時には200人近い行列ができ、最終的にはオープンであった会場への出入り自体に制限がかかるという人気ぶりであった。

 クローズドベータテストに漏れていた私は、ここで初めてACVに触れることが出来た。(ちなみに試遊機はPS3版)
 操作自体に煩雑さは感じられないものの、武器の特性をきちんと理解していないと(溜め攻撃型や散弾系かなど)効果的にダメージを与えることは難しい。
 そのためにはやはり、カスタマイズからきちんと自機と付き合うことも、大事な要素であるようだ。
 HUDも、自機の状態が把握しやすく馴染みやすい。またTPS視点も、自機と環境の位置関係が把握しやすく、アクションに向いた視点であるらしい。
 蛇足だが、妙に手応えがないなと思っていたら、コントローラがデュアルショックではなかったようだ。すっかり慣れ親しんだシステムであったせいで気付かなかったが、やはりなくなるとわかりやすいほど違和感がある。

 やがてステージでは、恒例の生放送が始まった。生き生きと大ネタを発表するこーほーやない氏と、なぜかその都度、胃が痛そうな顔をしている鍋島プロデューサというおなじみの構図で(w)会はすすむ。
 新武器の発表やiアプリの製作発表(アンドロイド版も?)。漢字デカールにオリジナルレーベルの発足など、ACフリークたちがぐいぐい引き寄せられる発表が続く。
 そしてなんと、TGSでも発表しなかったらしいACVの発売日がここで発表された。否応無く高まる会場のボルテージ。
 ラストを飾るのは、フロムソフトのサウンドチーム『FreQuency』による、AC名曲ライブ。シリーズを飾ってきた旋律の数々に、ファンからは歓声が上がった。

 恥を忍んで白状すれば、私はACシリーズ未経験者である。ただ本作に関しては、既に買う気満々でいる。
 昨今これほどまで長く愛され、これほどまで熱いファンを獲得できるゲームはそうあるまい。
 フロムソフトウェアの伝統ともいえるロボットアクション。その『魔性』はどこに潜んでいるのか。
 PVの空恐ろしい出来栄えも、戦いの最中にあって耳を揺さ振るBGMも、すべてが9割の技術であるなら、残り1割を構成するものは何か。

 印象的な一コマがあった。
 生放送中、ファンが騒然とする発表の中に、PVにも出た要塞のようなロボットが登場することが挙げられた。デモプレーVTRでプレイヤーが秒殺されるのを見て、ジャム爺氏が一言。
「これプレイヤー矢内さんでしょ?」
 矢内氏はヘタレプレーで(失言)有名だった。が、鍋島プロデューサが答える。
「そう思うでしょ?これやったの開発の高橋です」
 その瞬間会場から「え!?」という声が漏れた。開発者であり練達のプレイヤーでもある人が、一分と持たずに潰されたという事実は、それだけでファンの度肝を抜いたらしい。
 鍋島氏は続ける。
「やりやすいように気を遣う部分は気を遣ってますけど、ここに関しては(会場のファンを指して)お前ら殺す気でやってます」
 するとファンからは、惜しみない歓声が上がった。苦笑しながら鍋島氏が続ける。
「最大4人で戦えますが、いつか一人であれを倒したぞっていう人が現れるのを楽しみにしています」
 高い難易度のゲームが『無理ゲー』の一言で掃き捨てられ、ユーザーフレンドリーやクリアさせるゲームという価値観が、ある種当然のようになった昨今。熟練のさらに上を行く難易度を当然のように用意するスタッフと、それを歓声を持って迎え入れるファンがいる。これは双方にとって、相当に幸福な関係ではないだろうか。
 魔性の一端はここにある気がする。

 発売が延期されたのは残念だが、その分日々磨き上げられていることは、今回の発表を見ても明らかだった。
 発売まであと四ヶ月。魔性の昇華を期待しよう。

ソーシャルと専用機

2011/09/19 09:00 Category:業界
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年の東京ゲームショウは、残念ながら行きそびれてしまったが、ブースマップやツイッターを埋め尽くす呟きを見て、行った気分に浸っている。

 年々その萎縮傾向が取り沙汰され続け、アジア勢やモバイル系の躍進も目覚ましいTGSであるが、今年はその潮流がいよいよ顕著に出たらしい。
 単独ブースを出していたソフトウェアメーカーも、流通元のブースに寄り添うことも多くなり、大型ブースを出すメーカーは指折り数えるほど。
 我らがマイクロソフトは、昨年の半分ほどのスペースを出すにとどまっている。ソフトの国内開発から手を引き、独占タイトルも減ったとはいえ、あまりに遣る瀬無い。

 しかして今年のTGS…否、昨今のゲーム業界を象徴しているのが、モバイル・ソーシャル系の拡大だろう。
 中でも大手グリーは、初出展にしてカプコンやSCEと比肩する規模のブースを出展。その隣のモバイル・ソーシャル系の集合ブースをあわせると、展示スペース6ホール中1ホールを、丸々占有していることになる。
 確かに周りを見ても、ソーシャルゲームで遊んでいる人は実に多い。元々携帯電話は性能向上と共に、数千万台のコンシューマ市場としても注目されていたし、ツイッターやフェイスブックといったソーシャルメディアの台頭は、人同士の繋がりを軸にした気軽に遊べるゲームを広く普及させるに至った。
 100万本売れれば歴史に名が残せるゲーム業界にとって、200万300万というソーシャルゲームのユーザー数は、聞くだけで尻込みしそうなものだが、はたしてこの数字をそのまま受け取っていいものだろうか?
 そのまま受け取っていない人は、この記事を流して読んでしまってかまわない。今回は『ゲーム専用機が押されてるんじゃね?』と思っている方に、素人なりのちょーっと傾いだ意見を申し上げたい。

 まず第一に、ユーザー数の差だ。
 今や携帯電話は必須家電並みの普及率を誇っている。契約数は1億超。小学生すら所持率が上がる昨今、社会人となれば持っていない人を探すほうが困難だろう。
 方やゲーム機は百万台売れればヒット。市場規模が段違いなのだ。
 全携帯電話所持者中の100万人と、あるゲームハード所持者中の100万人とを同一視してよいものなのだろうか?
 第二に、課金スタイルの違い。
 ゲーム機のゲームは、ソフトを獲得した時点で代金を支払うことになる。中身の良し悪し向き不向きは関係ない。所有すること自体に代金が必要なのだ。
 一方ソーシャルゲームの多くは、登録及び基本的なプレイが無料である場合が多い。代金は広告や、課金アイテムという有料コンテンツによって賄われる。
 つまり、ゲームの所有に金銭は一切かからず、つまらなければ一円も払わないで辞めることも出来る。翻せば、面白ければどんどんアイテムを購入して進めてもいいわけだ。
 いわばアーケードゲームと同じだ。ためしに100円入れて遊んで、自分に合わないと思ったらやめてしまえるし、面白いと思ったら月数万使うようになる人もいるだろう。
 つまりソーシャルでは、ユーザー数から面白さや売り上げを推して量ることは容易くないのだ。
 そして第三に、システムの平均化を挙げる。
 ソーシャルゲームを数本遊んでいると、驚くほどシステムが似通ったゲームに会う事が多い。それ自体は珍しい話ではないし、ゲーム機でもよくある話だ。だがソーシャルの場合、いくつかのカテゴリに分けてしまえるほどに単純なのだ。
 課金アイテムを買わせる為、長く遊んで多彩なアイテムを用意できるゲームを考えると、そんなに選択肢は多くできない。いわばソーシャルゲームの骨組みは、数種類にならざるを得ないのだ。
 となれば、差異のつけ方はビジュアル面しかない。手っ取り早くてユーザーに訴求できる版権物が増えるのも道理というわけだ。

 一応明記するが、私はソーシャルやモバイルゲームも楽しんでいるし、それらを批判するつもりなど毛ほどもない。
 ただ言いたいのは、これだけ違いがあるものを並べて、競走でもさせるような物言いをするのは間違いだろうと思うのだ。
 なので、ソーシャル系が1ホールを占有しようと、私は驚きはしなかった。むしろソーシャル系だけでゲームショウを開いたら、さぞ面白かろうとさえ思うのだ。

 何より私は、販売本数やユーザー数に関わらず、普段ゲームに接しない層を取り込んだソーシャルのタイトルより、もとよりゲームを知った層に向けて作られ揉まれて育ったゲームのほうが、深く面白いものだと思うのだ。

二〇〇

2011/09/17 00:03 Category:日記、雑記
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手ながら師と仰いでやまない、読売新聞論説委員の竹内政明氏が、教師である知人から聞いた話だという。
 原っぱで子供が二人遊んでいた。ひとりが誤って穴に落ちてしまう。もう一人の子が慌てて大人の元へ駆けつけていう。
「○○ちゃんが、たかいあなにおちちゃったよ!」
 知人殿曰く、知らせた子はまるで、穴に落ちた子と同じ気持ちになったので、高い穴といったのだろう、と。
 なるほど、足をぶつけて悶絶する人を見て「痛そう」というより「痛い」というほうが、より相手の側に立っていることが伝わる。目線が言葉を変えることもあるようだ。

 何気なくこのブログの記事数を数えたら、199本になっていた。つまりこれが200本目の記事である。
 三日坊主の私がここまで続けられるのも、ゲームへの愛情と、少ないながらもしっかり読んでくださる読者あっての事だろう。いや目線が高い。素晴らしいゲームを生み出してくれるクリエータと、お付き合いくださる読者の皆様のお陰、と書くべきだ。
 他ならぬ竹内氏の文章と出会い、このスタイルでゲームの事を語れないだろうかと考えて始めた。とにかく書きたい気持ちに実直に、それだけを曲げずに書いてきたつもりである。

 今までの記事や、それにまつわる出会いや出来事を振り返り、深く思うのはまさにこの目線のことだ。
 ユーザーとメーカーの目線の差異は大きい。メーカーはユーザーの目線をもてるが、ユーザーはメーカーの目線には容易に立てない。しかして昨今、ネットの普及がユーザーにメディア並みの発言力を与えてしまうと、ユーザーの目線がメーカーを傷付けることも少なくなくなった。
 しかしメーカーはそれを反故にしたり、強く反論することが難しい。会社全体のイメージダウンを招きかねないからだ。
 ユーザーとメーカーは対等ではない。だからこそ互いの目線に立った付き合いが重要になるはずだ。そのためにネットは、メーカーとユーザーの垣根をここまで低くしているのだ、

 ともあれ200回。これからもメーカーとユーザー双方にとって、心地よい目線で記事が書けるよう精進していきたい。
 高い志というより、深い自戒を込めて。

プロフィール

ATUSI

Author:ATUSI
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