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ゲーム論説ブログ

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PR温故知新論

2011/01/27 22:19 Category:業界
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Kinectのゲームは、Wiiで遊べますか?
 あるメーカーの問い合わせ窓口に、そんな電話がかかってきたそうだ。
 相手は年配の女性。同日、TVでキネクトのゲームが放送されたのを見て、これなら自分も孫と遊べると思い、彼女なりにあれこれ調べて電話したそう。
 応対に出た担当者は、KinectとXbox360のことを丁寧に伝えたが、同時に身の引き締まる思いがしたという。

 操作の複雑さがライトユーザー離れを助長していたゲームに、身体の動きそのものを取り入れることでそれを簡略化し、ライト・ファミリーユーザーを呼び戻そうという動きが活発化してきている。
 しかし、長く続いたヘビーユーザーとライトユーザーの隔絶は、知識や情報の二分化を生んでいた。ライトユーザーがゲームに興味を持たなくなれば、彼らが接する情報媒体の供給者も、それを多く取り上げることをしなくなるのは、当然のことだ。
 そして今、こうして市場が新たな顧客開拓に乗り出そうとすると、突然もたらされる情報の数々に困惑する人も出てくる。
 そうさせないために、供給者ができることは何か?メーカーならずとも自問することがあるだろう。

 ある分野において代表的な製品が誕生すると、その製品名が分野の名前の取って代わる事象が多々ある。油性ペンを総じて『マジック』と呼ぶのはその好例。携帯型カセットプレイヤーを総じて『ウォークマン』と呼んでいた人も少なくはなかろう。
 同様の現象がゲームでもあった。
「いつまでファミコンやってんの!?」
 この言葉を母の声で思い出せる人は、少なくないはずだ。
 ファミコンがなくなってなお、このフレーズは頻繁に聞かれた。ファミコンはまさにゲームの代名詞であったからだ。
 しかしこの現象は、ゲームの分野で扱われるには危ういものだ。
 マジックが油性ペンの代名詞になりえたのは、その商品名のインパクトやロングセラーとしての地位のみならず、例えどこの製品であれ、油性ペンを『マジック』と呼んでも不都合が生じないからでもあった。
 内田洋行の『マジックインキ』でしか書けない紙などないし、何よりその一言で存分に意思疎通が図れた。
 ウォークマンも同様である。カセットテープであればどこの製品のものでも再生できるものだった。
 だがゲームは違う。ファミコンとスーパーファミコンに互換性はない。子供にウォークマンで使うカセットテープを買ってきてほしいと頼まれた父親が、ウォークマンで使えないテープを買ってきてしまう可能性は低いが、ゲームの場合はそれが起こり得る。
「スーパーファミコンのカセット」ではなく「ゲームのカセット」という括りで見てしまっている可能性があるからだ。

 この互換性のなさこそが、ゲームビジネスの根幹でもあるのだが、それをライト・ファミリー層にきちんと理解させるには、どういう手段でどの程度宣伝すればいいだろうか?
 幸いにして、昨今の小中学生の親の世代はファミコン最盛期に育った世代が多い。ファミコンのソフトがスーパーファミコンで使えないことを見ている。
 だがここ数年ゲームから遠ざかっていた人たちや、もとよりゲームというものに接してこなかった中高年以上の人たちに、今のゲームのことをゼロから教える機会や媒体は、どれだけ揃っているだろうか?

 WiiのCMにはいつも驚かされる。ゲーム画面があまり映らないだけでなく、内容がまるで購入者にしか必要なさそうな情報ばかりだからだ。
 それはWiiがヒットしたハードであるからというだけではなく、それまでゲームに接しなかった人々が、ゲームに関する情報を得られる媒体が、TVCMくらいしかないことを知っていたからだろう。
 そしてWiiが、それまでのゲームとは違う概念で生み出されたものであるからこそ、懇切丁寧な説明が必要であり、そうすることで、Wiiに興味を持っている人々にも中身を教え、安心して買ってもらえるという配慮ではないだろうか。
 しかしこれは珍しい手法ではない。箱物商品というように、ゲームは中身がはっきりと見えないものだ。そういったものの宣伝ならば、どういうものかを伝えようとするのは至極当然のことだろう。
 ファミコンの最初のCMは『新しい遊び』であるファミコンの基本的な解説に費やされている。30年前にやっていたことを、任天堂は再びやっていたに過ぎないのだ。

 新しいインターフェイスの誕生は、新しいゲーム、新しい顧客の誕生にも繋がる。
 新しい人々が、迷わず間違わずにゲームを楽しめるようにするために必要なのは、新しいプロモートではなく、あたりまえの接客に立ち返ることかも知れない。
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雑感・MASS EFFECT 2

2011/01/21 17:02 Category:ソフトレビュー
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ME2
にとって今まで見た中で一番面白かった映画は、スターウォーズ第一作だ。
 宇宙を舞台に様々な種族が入り乱れ、利権と愛憎の戦いを繰り広げるという、普遍にして不朽の物語は、幼心に鮮烈に焼きつき、今なお映画を見るときの基準点になっている。

 それから30年経とうかという現在。この普遍にして不朽の原点に、限りなく近づきつつあるゲームが現れた。

 遠い未来。銀河を包括する執政組織『シタデル』の傘下に納まることになった人類。
 そんな折、シタデルにより最上の権限を与えられた執政官『スペクター』の一人が起こした反乱により、存亡の瀬戸際に立たされたシタデル。
 その窮地を救ったのは、人類初のスペクターとなった英雄シェパード少佐だった。
 その後シェパードは、頻発する宇宙船失踪事件を追っていた。だがその途中、正体不明の宇宙船の攻撃により、シェパードの乗る宇宙船『ノルマンディー』が全壊。シェパードは宇宙に放り出され、辺境の星に飛び込んでいった。
 しかしシェパードは蘇った。天文学的な予算と二年の歳月をかけ、ボロ雑巾のようになったシェパードを再生させるためだけに設立された『ラザス・プロジェクト』により、再び自らの脚で地を踏むことになる。
 だがシェパードが目覚めたとき、銀河は大きく様変わりしていた。失った船も、散っていった仲間も。
 かわらないのはシタデルの保守的姿勢と、宇宙存亡の危機が再び訪れていることだけだった…。

 基本は前作同様、キャラの背後から操作するTPS視点のRPG。剣と魔法ならぬ、銃と超能力のRPGである。
 なのでTPS視点のまま、町や宇宙船内を行き来することもあり、この間テンションを維持できるかどうかが好みの分かれ目になりそう。
 ストーリーはミッションをこなしていく形で進み、メインミッションのほかにも豊富なサブクエストが用意されている。
 前作との変更点といえば、前作では武器が無制限でヒートダウンによる停止があったのに対し、今回は弾数制になったこと。前作で無限に撃てるライフルを作って喜んでいた諸氏には悲しいだろうか。
 また前作では、未開の星の探査のため、わざわざ着陸する必要があったが、今回は軌道上からスキャナで探査し、めぼしい鉱物があるところに探査機を落として回収するというスタイルに変更。なかにはミッションが隠された星もあり、全制覇への道のりはかなり高い。
 また本作最大の特徴ともいえる 会話システムも健在。選択肢一つで主人公の評価は千変万化し、ストーリーは目まぐるしく変わる。
 選択に正解はなく、英雄になるのも暴君になるのも思いのままである。

 宇宙を舞台に様々な種族が入り乱れ、利権と愛憎の戦いを繰り広げるという王道的世界に入り込み、その世界の命運を握ってしまう愉悦。
 スペースオペラの主役になれる、ため息つくほど粋なゲームの誕生である。

雑感・Fallout Newvegas

2011/01/14 15:28 Category:ソフトレビュー
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FoNV
ストラダムスの予言が、一部メディアやオカルト業界を少々潤して過ぎ去ったのも記憶に新しいが、そんなものが騒がれる遥か以前から、終末思想とそれを題にした物語は多くの人々を惹き付けてきた。
 原始的生活の始まりと、小さなコミュニティの勃興。それをまとめる組織体系の誕生と、それぞれの主義利権からの諍い。
 人類の発祥と発展の頃におきた事象を、現代…あるいは現代以上の文明レベルを持った人々が生きたとしたら、彼らはどんな物語を紡ぐのだろう?
 過去何度も成されてきた空想好きたちのこの問いかけに、また新たな名解釈が生まれようとしている。

 西暦2077年。世界規模の核戦争が勃発。Fallout(死の灰)が世界を覆いつくし、歴史を数百年…あるいは数千年逆戻しにした。
 アメリカも例外ではなく、災禍を生き延びることができたのは、ごくごくわずかな人々と、外界から完全に独立したシェルター『Vaultシリーズ』に入ることができた人々だけだった。
 西暦2281年。わずかに残った文明の残骸と、かろうじて力を取り戻しつつある大地の上に、人々が新しい社会を築き上げていた頃、あなたは田舎町の診療所で目を覚ます。
 何者かがあなたを助けてくれたのだ。朦朧とする意識の中、自分に起きた出来事を思い出す。
 あなたは運び屋だった。何かを運んでいた。割のいい仕事だった。その途中誰かに捕まり、荷を奪われた上、頭を打ち抜かれるまでは…。
 あなたは何を運んでいたのか?あなたを消そうとしたものは何者なのか?大きな謎を抱えたまま、あなたは死の荒野に足を踏み入れる。
 ここはかつてネバダと呼ばれた場所。文明の礎フーバーダムと、欲望の坩堝ニューベガスを抱えた、モハビ・ウェイストランドである。

 基本的なシステムは前作同様。物理法則まで計算された世界で、プレイヤーの行動を最大限保障するオープンワールドタイプのRPG。
 前作から武器アイテムの数が大幅に増えたり、ステータスによるストーリーへの影響の仕方が変わったりと、細々した部分にブラッシュアップの跡がうかがえる。
 たとえば前作では、武器装備を修理することができ、そのコンディションは修理パラメータの値によって上限が決まっていた。
 しかし今回は、レベルに関係なく、パーツさえあれば100%まで修理でき、修理パラメータの影響は耐久性に関わってくるのだ。訂正・CNDの減り具合は武器によって決まっています。 Repairの数値は修理した際のCNDの回復具合や、弾丸の作成に関わってくる数値です
 他にも、会話へのパラメータの影響も、確立値から絶対値へ変わり、ある一定のスキルがないと必ず失敗するようになった。
 また前作では主だった組織が二つであったのに対し、今回は大小あわせて10以上の組織が存在し、それぞれが互助と敵対の関係を築いている。
 加えて各々の組織にはあなたに対する『信頼度』が存在し、敵対組織と出会えば攻撃され、味方組織からは援助を受けることもできる。
 どの組織に就くかはあなた次第だが、相克関係を理解しておかないと、コウモリのようにどっちつかづになってしまうので注意が必要だ。

 改めて言うまでもないが、オープンワールドタイプのゲームをプレーするには、ゲームに誘導されることを求めないという、少し違った気構えが必要かもしれない。
 例えばドラクエには、ある一定のストーリーがあり、そこから外れなければエンディングまでは保障される。だがオープンワールドタイプの場合、フラグの概念はあるものの、プレイヤーがどういうストーリーを辿るかはプレイヤーにのみ委ねられるのだ。
 このゲームではその要素が特に色濃く出ており、受動的にプレーするだけでは確実に混乱するだろう。会話の選択肢ひとつで目の前の人物は敵にも味方にもなり、どの選択肢も不正解ではないのだ。
 またロックピックやバーターなどのスキルが影響する場面が多く、パラメータ配分を下手に均等に振り分けてしまうと、やたら苦労を強いられたり凡庸なシナリオ展開になったりと、損をする場面も多い。
 どの派閥に就くか、どんなキャラに成長するかという、能動的なプレイ姿勢が要求され、このゲームはその姿勢を最大限に受け入れてくれる。
 しかして最大の特徴とも言える『50年代の人々が描いた未来』というビジュアルコンセプトは変わっていない。モニターがすべてブラウン管だったり、コンピュータに磁気テープが使われていたり、ブリキのおもちゃのようなロボットが蔓延っていたりと、レトロでどこか懐かしいアメリカ的意匠に溢れている。

 死の灰に覆われた古き良き未来。欲望と理想が鬩ぎ合う汚れた大地(ウェイストランド)で、あなたは英雄譚を記すのか、それとも反逆者となるのか。
 新たな終末物語の舞台は整った。その脚本を作れるのは、この世界生きるあなたしかいないのだ。

夢の箱

2011/01/06 12:52 Category:日記、雑記
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晦日、魚屋の勝が夕餉の支度に勤しむかみさんに言う。
「おぅ、茶ぁ沸かしとけよ?支払いのヤツらが来るかも知れねぇ。寒い中来させて茶も出さねぇんじゃ可哀想じゃねぇか」
「何言ってんだい、ツケなんざ一件も残っちゃいないよ。逆にこっちが払ってもらわなきゃなんないツケがあるくらいさ。でもわざわざ忙しい中押しかけることもないだろ?年明けてから伺うつもりだよ」
 やがて表から微かな音がする。
「お?サラサラしてやがんぜ。雪でも降ってんのか?」
「雪じゃないよ。お隣がね、門松立てたのさ。その葉っぱが揺れてるんだよ」

 以前も引用した、傑作落語『芝浜』のクライマックスシーンである。
 と、こんな話を書こうと思ったらもう三が日も過ぎてしまった。年々正月に実感が持てなくなりつつあるのは、年の瀬の始末ごとや新年の準備といった慌しさが、縁遠くなったからだろうか。
 初詣のお賽銭が例年より増したとか、福袋の売れ行きが好調だとか、ご祝儀相場的な景気の活況を伝えるニュースも聞かれる。出費の波が極端になっているのも、昨今の傾向であるらしい。ついでに360も売れてくれたらなぁと、思わないではない。
 今年明らかなだけの発売スケジュールに目をやる。若干寂しい気もするが、期待作も出揃う。発売日すら定まらぬあのタイトルは、いつお披露目となるやら。
 過去に開発中止の憂き目を見たタイトルが多いのも、Xboxユーザーには苦い思い出である。我々にとっても辛いのだから、作り手にはどれほどの苦渋であろうか。
 スケジュールを眺めつつ、期待作をなぞりながら、無事日の目を見られることを切に願う。

 芝浜のサゲは、酒を断っていた勝が再び酒を口にしかけ「よそう、また夢になるといけねぇ」とつぶやいて盃を下ろす。
 下戸の我が身はゲームに酔って、浮世を夢とながしてみたい。
 あいや、先立つものがいる。今年もせっせと働くとしよう。

 小欄も皆様の夢の一助となれますよう。本年も宜しくお付き合い下さいませ。

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